主従二人(松島)。

W杯、決勝ラウンド第2試合、アメリカ対ガーナ戦、ガーナが2対1で勝った。
前評判は高かったが、決勝ラウンドに駒を進めたアフリカの国は、ガーナのみ。ベスト8にガーナが進み、FIFA幹部、就中アフリカでのW杯開催に力を入れていた会長のブラッターは、喜んでいるだろう。
10日ほど前、週に1度行っている近所の学校で、顔見知りのアメリカ人に、「アメリカ強いじゃないか」、と言った。と、彼は怪訝な顔をした。「ワールドカップだよ、見ていないのか?」、と言うと、「見ていない。オレはバスケットが好きなんだ。今は、NBAのファイナルが凄い」、と言う。
「ヘェー」、と答えると、今、バスケットの全米一を決める試合が行われていること、ロサンゼルス・レイカーズとボストン・セルティックスの対戦であること、東西対決であること、レイカーズは2連覇がかかっていること、などさまざま教えてくれ、「オレは、ロス生れだから、子供の頃からのレイカーズファンだ」、と言う。
「実は、明日、ファイナルの最終戦が行われるんだが、それが朝なんだ」、と言う。「じゃあ、明日の授業は休講にすればいいじゃないか」、とけしかけると、「いや、それはできないよ」、とこの真面目なアメリカ男は言っていた。
まあ、そりゃそうだ。私のように生徒として趣味で学校に行っているジイさんと、職業として教師をしている30代の男とは、その考え方、違って当たり前だ。
アメリカでは、野球、バスケ、アメフトがメジャーなスポーツで、サッカーはマイナーであるということぐらいは、私でも知っているが、実は、サッカーのアメリカ代表チームもなかなか強い。なかなかどころか、随分強い。今回も1次リーグ、グループCを、トップで突破した。イングランドを押さえて。
しかし、いかにバスケ好きでも、W杯ぐらいは見ればいいのに、とも思ったが、アメリカ人のサッカー観、この男の感覚が平均的なものかもしれない。
2日ほど後の新聞に、レイカーズが2連覇を遂げた、とさほど大きくない記事が出ていた。その後、この男には会ってないが、おそらく、録画映像を見て、ガッツポーズを繰り返していたことだろう。
それはともかく、松島だ。芭蕉と曽良、主従二人の松島だ。
『おくのほそ道』の松島のくだり、芭蕉の記述、力が入っている。何しろ、深川を旅立つ前、<月日は百代の過客にして・・・・・>で始まるその序章で、「松島の月がまず気にかかって」、とわざわざ書いているその松島へ、いよいよ来たのだから。
ここは、芭蕉の原文を、ところどころ拾ってみたい。
「言うまでもないことだが」、と前振りをした後、
<松島は扶桑第一の好風にして、凡洞庭・西湖を恥ず。・・・・・欹ものは天を指、ふすものは波に匍匐。・・・・・負るあり抱るあり、児孫愛すがごとし。・・・・・其気色窅然として、美人の顔を粧ふ。・・・・・造化の天工、いづれの人か筆をふるひ詞を尽さむ>、と芭蕉は記す。
その半分ばかりを拾っただけだが、”トントントン、トトトトトン”、”トントントン、トトットトン”、トンットトン、トトトントン”、とてもルズミカルである。漢字が多いが、読んで気持ちがいい文である。
その後も、凝った名文が続き、<・・・・・風雲の中に旅寐するこそ、あやしきまで妙なる心地はせらるれ>、という快いフレーズで納め、この句を記す。
     松島や鶴に身をかれほとヽぎす     曽良
なんと、ここに、曽良の句を書きいれている。芭蕉自身は、私はいい句ができなかったので、眠ろうとしたが眠れなかった、なんてことを書いている。これは、どうも怪しい。
実は、句も詠んでいる。
     島じまや千々にくだけて夏の海
という句を。
萩原恭男も山本健吉も、この句に満足できず捨てたものと思われる、としているが、嵐山光三郎は、曽良が詠んだとされている「松島や・・・・・」の句も、実は芭蕉の句だと書いている。
『おくのほそ道』の各くだり、だいたいにおいて短い。芭蕉、長い年月をかけ、筆を入れては消し、入れては消し、練りに練った文章に仕立て上げたものだ。その中で、この松島のくだりは、この後訪れる、羽黒や象潟のくだりに次いで長い。芭蕉、ともかく力を入れたんだ。松島のくだりには。
曽良作となっている句の真の作者は誰か、また、はっきり自らが詠んだ句を取りあげなかったのは何故か。そんなことは、どうでもいい。大したことじゃない。私は、そう思う。俳文としては長いこの松島のくだり、芭蕉、地の文に賭けたんだ。長い年月をかけ、地の文を、一刀一刀彫りあげた。
この後、<十一日、瑞岩寺に詣>、として、瑞巌寺のあちこちを見物した模様を記している。
この十一日というのは、新暦でいえば6月27日、つまり今日である。しかし、曽良の『旅日記』には、瑞巌寺に行ったのは11日ではなく5月9日、つまり一昨日、と記されている。事実関係、日日のズレなども、芭蕉にとってはどうでもいいこと、大したことではない。
それにしても芭蕉、松島には思い入れも強かっただけに、実際にその地に立った時の感動も、ことさら凄いものだったようだ。
随分昔の話になるが、子供が小さい頃、松島に行ったことがある。遊覧船に乗って島めぐりをしたが、感動どころか、さしたる思いもしなかった。凡百の人間であるから、ということは解かっているが、土台子供連れの家族旅行で、芭蕉のような感慨にふけることなど、無理な話。子連れで行くのは、動物園かディズニーランドぐらいが、やはりいい。もう、過ぎちゃったが。
そんなことより、W杯決勝ラウンド第3戦、イングランド対ドイツ、凄いゲームだった。
さすが、FIFAランクひと桁同士の戦い、レベルが違う。
ドイツが4対1で勝ったが、ドイツ2−1の時、イングランドのゴールを審判が見落とした。その映像、何度も繰り返されたが、ボールは、ドイツのゴールラインを完全に越えていた。それが認められなかった。そこで2−2になっていたら、後の展開も変わっていただろう。
明日あたり、この判定をめぐり、世界中、侃侃諤諤となるだろう。イングランドやドイツ国内ばかりでなく。
ゴールキック1本から走り込んでのシュート、なんてものもあった。今回のW杯、フランスやイタリアが1次リーグで姿を消したり、ヨーロッパの強豪国が苦戦をしているが、さすが、その実力は凄い。今日のゲームでそれを知った。
これぞサッカー、というゲームだった。