勝ちにいったか?


ないものねだりを承知で言う。岡田武史は今日、本気で勝ちにいったか、と。
遥かに格上の国との対戦、まず守りを固め、失点を防ぐ。あわよくばドロー、引き分けに持ちこみたい。もし勝つとしたら、相手に隙が出た時のカウンター。岡田武史、そう考えていたであろう。妥当な考え方であり、理にかなった戦略でもあろう。
その場合、負ける確率6割、ドローの確率3割、勝つ確率1割、となろう。実力差のあるチームとの対戦、ドローと勝つ確率の合計が4割となれば、その戦略をとるべし、と岡田は考えたに違いない。
たしかに、FIFAランク4位のオランダとランク45位の日本、1対0ならば、惜敗である。常識的にいえばそうである。しかし、今日のゲーム、勝てたかもしれない、と私は思う。
日本が守備固めで引いていた前半のボール支配率は、7対3であった。それが前後半トータルのボール支配率は、6対4である。ということは、後半のボール支配率は、日本の方が多いということになる。実は、トータルのシュート数も、オランダ9本、日本10本、と日本の方が打っている。
日本、前後半で戦法を変えた。後半はとてもアグレッシブであった。もしも、前半からアグレッシブにいっていればどうなったか、と思わざるを得ない。勝てたかもしれないし、双方が得点をあげ、ドローとなっていたかもしれない。
今日のゲーム、NHKとテレビ朝日が共に中継していた。中継どころか、双方とも10時間もの間ワールドカップがらみを流していた。今日のゲーム、国民的行事となった。
ゲーム自体は、松木安太郎とセルジオ・越後が解説のテレ朝を、その他はNHKの画面を切り取った。

ゲーム開始1時間ばかり前、ピッチに出る前の日本選手。
右手前にはゲームキャプテンの長谷部、中央奥には、先日のヒーロー・本田、左側には中澤の後姿も見える。

先発メンバー。カメルーン戦とまったく同じ。
後ろに映っている選手は、サイドバックの長友佑都。
この長友、小柄な選手だが、凄いフットボーラーだ。私の贔屓の選手のひとりである。
今日のゲームでも、日本のファーストシュートを放ったのは、ディフェンダーの長友だった。

リザーブの選手リスト。
この中、後半に、俊輔、岡崎、玉田が出てくる。
私は、スキンヘッドの森本を投入しろ、といつも思っているのだが、今回は、森本使われていない。岡田の信頼、まだ薄いものと思われる。

試合開始前の岡田武史。いつも通りの厳しい顔つきだ。
どうしたことか、LIVEの文字がひっくり返っていたり、岡田の顔がオランダのナショナルカラーのオレンジ色にペイントされているように見えるが、ゴーストなんだな。

前半36分、オランダゴール前。闘莉王、ヘディングシュートを放つが決められず。
中澤と共に、闘莉王の活躍も凄かった。守りの要のセンターバック、今日も猛攻をよくはね返した。そればかりでなく、1点ビハインドの後半終了間際には、日本、パワープレーをかけ、闘莉王も相手ゴール前につめていた。

今日最もアグレッシブな選手は、大久保であった。
日本のシュートの1/3以上は、大久保が放っていた。残念ながら、ゴールにはならなかったが。大久保、天を仰ぐ。
後半8分、スナイデルに強烈なシュートを決められる。
岡田、早めに手を打つ。19分、松井に代え、俊輔を投入する。今大会、俊輔、初登場だ。だが、俊輔の動き、判断、少しズレているように思えた。俊輔シュートを打て、という時に俊輔はスルーパスを出した。打てよ俊輔、お前はエースナンバーの10を背負っているのだから、と思ったが俊輔は打たなかった。
日本代表のエース、俊輔から若い連中へ移っていくんだな、という思いを抱いた。

後半31分過ぎ、岡田は最後のカードを切った。岡崎と玉田、フォワードを二人投入した。
ピッチを出た長谷部からゲームキャプテンの腕章を受けとった中澤は、守りに守る。


これは、ゲーム後の映像であるが、終了間際、替わった岡崎、強烈なシュートを打つ。
わずかに外れた。惜しかった。先発メンバーを外れた岡崎、燃えている。

フルタイム、ゲーム終了後の岡田武史。
「悔しいですね。何とか点を取りたいと思っていたが、残念です」、と語っていた。

この男が、強烈なシュートを決めた、オランダのスナイデル。
試合後のインタビューを聞くと、なかなかいいヤツだ。好きになちゃいそうないい男だった。
1990年のワールドカップ、イタリア大会でのこと、崩壊直前のユーゴスラビア代表チームの監督は、イビチャ・オシムだった。
その初戦、オシムは、ワザと、意図的に、負けるための布陣を敷いたという。
祖国ユーゴは崩壊寸前、民族紛争が頻発していた。民族意識、民族エゴが高まった。イビチャ・オシム、どうしたか。民族エゴへの答えを出した。大事な初戦、それに負けることによって、その回答とした。
岡田武史にとって、ゲームの勝ち負け、1990年の旧ユーゴのオシムのような状況ではない。
本気で勝ちにいく、という戦略もあったのではないか。