主従二人(あさか山)。

ワールドカップ一次リーグH組、スペイン対スイス戦、今、前半が終わった。
優勝候補の筆頭であるスペイン、圧倒的に押してはいたが、スイスのディフェンス固く、0対0で折り返す。
昨日のG組、コートジボワール対ポルトガル戦も見応えがあった。
クリスチアーノ・ロナウドのシュート、おしくもゴールはならなかったが、凄かった。特に、前半11分の右足からの強烈なシュート、ゴールポストに嫌われたが、これぞシュート、という一撃だった。また、後半35分の35メートルからのフリーキック、直接狙ったが、落ちきらずバーを越えた。しかし、これも強烈だった。
メッシのドリブル突破からのシュートも凄いが、クリスチアーノ・ロナウドのガツンというシュートも、さすが凄い。
コートジボワールのドログバが、後半21分に入ってきたのにも驚いた。日本とのテストマッチで、闘莉王の膝が入り、右腕を骨折したのは、10日ほど前、手術をした後ギブスを巻いて出てきた、という。ドログバ、さすが存在感が違う。ドログバが入ると、面白くなる。闘莉王も安心しただろう。
強豪同士のこの対戦、ボール支配率も、ほぼ互角。0対0に終った。
死のG組といわれるG組、あとひと試合は、ブラジル対北朝鮮だった。いかに時間があるとはいっても、未明のこのゲームまでは、付き合えない。今日、短いダイジェストで見た。
ブラジルは、FIFAランキング第1位、北朝鮮は、105位。言ってみれば、トップとビリとが戦うようなものだ。何日か前、解説の誰かが言っていた。FIFAランク、トップ10ぐらいの国はさすがに強いが、それ以下の国はそうは変わらない、と。これは、格上ばかりと戦うFIFAランク45位の日本を叱咤する言葉だった。格上にビビるな、という。
しかし、FIFAランク、3桁となると、そうも言えないだろう。案の定、ブラジルが圧倒的に攻め、2点を取った。だが、終了間際、北朝鮮のチョン・テセが頭で落としたボールを、チ・ユンナムがシュート、1点を返した。驚いた。
Jリーグを見ていない私は知らなかったが、このチョン・テセという選手は、川崎フロンターレでプレーしている選手だという。凄いストライカーだそうだ。在日コリアン3世で、韓国籍だという。韓国籍だが、北朝鮮チームの一員としてプレーすることが、特例として認められているのだという。FIFAも認めているという。こういうことがあるのも、今まで知らなかった。
それはそれとして、チョン・テセ、アシストも凄かったが、試合前の国歌斉唱の時、大粒の涙を流していた。北朝鮮の選手の中でも彼だけが。国歌斉唱の時、涙を流す選手は、時としている。しかし、チョン・テセのような涙は、おそらくいないだろう。ニュースで言っていたが、この映像、世界中で放映されたそうだ。エキセントリックな国・北朝鮮、という興味もメディアにはあるのだろう。試合後のインタビューでチョン・テセは、「サッカーを始めてからずっと、この日を待っていた」、と語ったそうだ。
東アジアのストライカー、日本の本田圭佑も、韓国のパク・チソンも凄いが、北朝鮮のチョン・テセも凄い選手だ。
実は今日、6月16日(旧暦4月29日)、須賀川の等窮の屋敷に、一週間厄介になっていた、芭蕉と曽良の主従二人、等窮の屋敷を出て、あさか山に向かう。
せめてワールドカップをやっている間、1カ月くらい、どこかで長逗留していてくれればいいのだが、そうもいかない。4年に一度だが、今の時期、ワールドカップが行われるなんてことは、江戸期の人は知らないもの。優美な蹴鞠は知っていても、より、というより、はるかにスピーディーなサッカーなんてもの、知るはずがないものな。
仮の話として、推量する。
もし芭蕉がサッカーという競技を知っており、ワールドカップのことも知っている、としよう。その際、芭蕉はワールドカップに興味を持つか。おそらく持たないのじゃないか。そう思える。江戸期、見るスポーツとして、相撲はあった。剣術の試合もあったに違いない。芭蕉は、相撲や剣術についての句を詠んでいるのであろうか。私は、知らない。
一昨日の日本対カメルーン戦の視聴率は、47〜8%だったという。凄い数値だ。日本人の半分近くの人が見ていた。だがしかし、これを裏返せば、半分以上の人はあの試合を見ていなかった、ということになる。あの試合を。
特に、後半終了間際の心臓がバクバクとなるあの試合を、日本人の半分以上の人が見ていない。私の友達にも、”サッカーは見ていない。山田風太郎を2つ3つ読んでます”、なんてシャレた(キザでもあるが)ことを言っている男がいる。芭蕉も、おそらく、そうであろう。
芭蕉は、昔からさまざまな歌人によって和歌に詠まれてきた名所旧跡には、異常な興味を持っている。いわゆる歌枕。古人の歌に詠まれたところを、ともかく巡る。その上に、芭蕉独自の世界を構築する。奥の旅、細道への旅も、そういう旅だと言えるだろう。今日もそうである。
芭蕉は、こう書いている。
等窮の屋敷を出て5里、20キロほど歩くと、檜皮(日和田)の宿の近くにあさか山がある。この辺り、沼が多い。”かつみ”を刈る頃も近いので、「どの草がかつみなのですか」と人々に尋ねたが、誰も知らない。あさか沼の周りで「かつみ、かつみ」と尋ね歩いているいる内に、日は山の端に傾いてきた。二本松から右に折れて、黒塚の岩屋を少し見て、福島の宿に泊まる。
”かつみ”という草は、私ももちろん知らないが、辞書で調べると、イネ科の多年草、真菰だそうだ。古来、歌に詠まれている草だという。
今日、芭蕉が書いていることは、これだけだ。須賀川からあさか山へ行き、福島まで出て泊まる。おそらく20数キロ歩いているのだろう。そんなに歩いて、お疲れでしょう、と思う。しかし、芭蕉にとっては大事なことなんだ。かつみ、真菰もそうだが、あさか山(安積山)も、古来多くの歌人によって多くの歌が詠まれてきた歌枕なんだ。
それが、どのようなものであろうとも、”旅は、歌枕命”。芭蕉、そういう人でもある。
こんなことを書いている内に、つい先ほど、スペイン対スイスの後半のゲーム、終わってしまった。
書き始めた前半終了時には、あれほど押していたスペインが負けた。1対0でスイスが勝った。優勝候補筆頭のスペイン、後半も猛攻をかけていたが、敗れた。
ワールドカップを横目で見ながら、キーを打っている今日のブログ、おかしなところが多かろうな。