道遠し。

晴れ。
今、NHKの「がん 生と死の謎に挑む」、見る。
自らも、2年前、膀胱癌の手術を受けた、立花隆の思索ドキュメント。立花の癌は、幸いにも、浸潤が筋肉層まで達していなかった、ということだが、再発の可能性は、80%くらいあるとのこと。3カ月に1度、内視鏡検査に通っている、という。
番組では、いかにも立花らしく、日本はじめ欧米の科学者、研究者を追っている。
低酸素状態でも活動ができるHIF−1なる遺伝子が、浸潤を引き起こすこと。その遺伝子も、進化の過程で生じてきたもので、生命の歴史そのものであること。
本来、悪い細胞を食べる免疫細胞である、マクロファージが、がん細胞を誘導していること。つまり、正常ないい細胞が、裏切っていること。まあ、半分は自分で、半分はエイリアンであること。
同じがん細胞であっても、幹細胞を数個移植したネズミは、すぐに癌を発症するが、幹細胞じゃない細胞を数十万個移植しても、そのネズミは、癌にはならないこと。
私の記憶、間違っているところもあろうが、まあ、このようなこと(他にもあったが、憶えていない)を、さまざまな研究者を訪ね、がん研究の現在を示していた。
実は、途中で少しウトウトッとしてしまった。寒くなったので、暫く前から、電気カーペットを敷いているので、つい瞼が下りてしまった。気がつくと、「人間は、死ぬ直前まで、笑うことができる。直前まで笑える死、それが、自然な死」、ということを、立花が話していた。ホスピスへ行っていたようだ。
さらに、「死は、生命そのものが持っている、避けられないもの。癌ともおりあいをつけて」、なんて、前半の最前線の研究者を訪ねた時の話とは、趣の異なるトーンの話もあった。
それというのも、「私が生きている内に、癌研究が飛躍的に進み、特効薬ができるなんてことはない。だから、ジタバタしない」ということのようだ。道は、まだまだ遠い。それは、そうだ。人類が生れてから、100万年か40万年か10万年か、いずれにしろ、長い期間、がん細胞も人類とともに生きてきたはず。何年や何十年で、解明されるわけはない。
最後に、立花は、「人間は皆、死ぬ力を持っている。死ぬまで生きる力を、持っている。死ぬまで、生きられる」、と論理家、立花隆らしからぬ、禅坊主のような言葉を述べていた。
私も一度癌になり、胃を3/4近く切り取っている。その再発はないものの、いつまた、新たなるがん細胞が、どこに発生してもおかしくはない、と考えている。それ故、この立花の最後の言葉には、同意できる。