思い入れ。

晴れ。
先ほどのテレビのニュースで、エドワード・ケネディーの死を知った。
25日深夜にマサチューセッツで、というから、今日の夕刊には、時差からみて東京版でも間にあうかどうか、締切りの早い千葉版にはもちろん載っていない。しかし、朝刊の扱いもそう大きくはないだろうな、と思う(ニューヨーク・タイムズのウェブサイトを見たら、さすが、トップ記事で大きく報じられていたが)。テレビの扱いも大した扱いではなかったし、日本では先日の金大中の死と異なり、普通の死亡報道であるのは仕方ないか、と思う。
しかし、私の世代の人間にとっては、ケネディーの名は、特別な響きを持つ。思い入れがある。深い。
JFKのイニシャルで知られるジョン・F・ケネディー、ロバート・ケネディー、そして、エドワード・ケネディー。エドワードは、ケネディー家最後の生き残り、次の世代に、いずれ政界に打って出るだろうJFKの長女・キャロラインや縁戚のシュワルツェネッガーはいるが、エドワードは、ケネディー家の威光を保つ最後の重石だった。
いや、ケネディー家のというより、アメリカの威光を保つ重石だったと言って良い、と思う。世界のリーダーとしてのアメリカが誤った方向に進まぬように、と常に警告を発していた。オバマも、何かの折には、思いあまる時には、彼の助言を必要としていた。
華やかな一族であった。「ケネディー王朝」とも言われた。悲劇の一族でもあった。その悲劇をも含めて、伝説の一族となった。
JFKは、弱冠44歳で大統領となり、その就任演説は、リンカーンのゲティスバーグ演説とならぶ名演説となった。白人としてはマイナーなアイルランド系であった。ジャッキーと呼ばれた妻は、人形のごとき美女だった。が、何よりも、その死が鮮烈であった。
初めて日米間の宇宙衛星中継がおこなわれた日、1963年11月22日。テキサス州のダラスから、衛星を通じてまず飛び込んできたのが、JFKが暗殺される映像だった。多くの日本人が見ていた。まだ学生だった私も見ていた。リアルタイムの暗殺現場を。銃弾に飛び散ったJFKの体にジャッキーが被さった。この時、JFK47歳。
犯人は、ロシア、いや、ソ連帰りのリー・ハーベイ・オズワルド、とされている。しかし、真相は、今もって不明。その翌日、今度はオズワルドが、ダラス警察の留置場の廊下で射殺されたから。その犯人は、ナイトクラブの経営者でマフィアともつながりがあるジャック・ルビー。この映像も、ほぼリアルタイムで見ていたんじゃなかったか。
「アメリカってなんてヒデェ、スゲェ国なんだ」と世界中の人が思った。おそらく、アメリカ人の一部の人を除いては。
が、これで、JFKは、伝説の人物となった。
その弟のロバートも、大統領予備選中、ロスでやはり暗殺された。42歳。ケネディー家の悲劇性は、増幅され、世界中の思い入れも深まった。
末弟のエドワードも、当然のことに大統領を目指した。しかし、カーターとの指名争いに敗れ、夢はならなかった。が、その後のエドワードの動きをみると、かえってアメリカの政界にとって良かったんじゃないか、とも思える。良識あるご意見番としての重みが年とともに増していった、と私には思えるので。
年をとってからのエドワードは、身体ばかりでなく顔の幅も広くなったが、若い頃は細面の感があった。ハンサムだと言われた3兄弟の中でも、一番の美男子だった。3兄弟とも、当然のことながらよくもてた。3人とも艶聞がある。実は、エドワードがカーターとの指名争いに敗れた遠因も、若い頃のスキャンダルにある。もてる男には、もてる男なりの悩みもあるんだ。
JFKを亡くしたジャッキー(JFKが殺された後は本来のジャクリーヌという呼ばれ方が多くなったが)には、世界中の金も力も名もある、我こそはという男が、言いよっていたようだ。それを制したのは、ギリシャの海運王であるオナシス。たしか、フルネームは、アリストートル・ソクラテス・オナシスという名だったと思う。どこから見ても、凄い名前だ。
その代り、というか何というか、オナシスは、ジャクリーヌを手に入れる代償として、永年の愛人であった世紀のプリマドンナ、マリア・カラスと手を切る。これも、すごい話だ、世界中のその他大勢の大多数の男にとっては、夢みたいな話である。世紀の、100年に一人の女から、世界一の話題の女に乗りかえるんだから。ケネディーがらみの伝説は、次々と広がっていった。
が、私にとってケネディーがらみの思い入れで思い出す一番のものは、マリリン・モンローだ。彼女が死ぬ少し前、大統領であるJFKの誕生日パーティーでのモンローが歌う「ハッピー・バースデー・トゥ・ユー」、これほど思い入れのこもった歌はない。いや、歌ではなく、これほど思い入れのこもった歌い方をした歌い手を、私はほかに知らない。
あのハスキーな声で、一音、一音ずつ長く延すんだ。少し乱暴だが、カタカナで書くと、「ハァーピィーバァァースゥゥーデェェートォゥーアーワァープゥゥーーレェジィィーデェェーントォォォー」という感じ。すごい歌い方だ。これ以上思い入れのこもった歌はない。大統領の誕生日パーティーに出ていた名士連中は、みなビックリしただろう、と思う。
この時、世界のセックス・シンボルのマリリン・モンロー、36歳。この3か月後に死ぬ。この時、大統領のJFK、45歳。この1年半後に暗殺される。そして、この時、二人は、愛人関係にあった。
さすが、アメリカだ。日本のトップリーダーなど、逆立ちしたってできゃしない。
また少し横道にそれちゃった。最後に、今一度エドワードに戻ろう。ケネディー3兄弟、それぞれ魅力溢れる人物であったが、政治家として、私が最も魅かれるのは、今日死んだ末弟のエドワード・ケネディーである。脳腫瘍。77歳。
花の盛りに殺された二人の兄のような”伝説性”には欠けるが、立派な政治家、世界の行く末を考えていた男であった。
明日の朝刊、ニューヨーク・タイムズとまでは言わないが、少しは大きく扱ってくれ。