主従二人(越後路)。

晴れ、時々曇り。
今日の朝刊のエドワード・ケネディーの扱い、朝日では、国際面の囲みだった。まあ、予想はしていたが。個人的な思い入れと客観的な報道との違いなど、百も承知、ではあるが。
芭蕉と曾良、主従二人の旅、越後路に入る。
今日は一気に進む。半月ばかりが。別に、このブログでの、主従二人の追っかけが、遅れているからではない。『おくのほそ道』にも、芭蕉の記述はごくわずか。文庫本で、地の文がたった4行、それに、句が二つ。
芭蕉の書いている文を半分ほど記すと、
<酒田の余波日を重て、北陸道の雲に望。・・・加賀の府まで百三十里と聞。・・・越中の国一ぶりの関に到る。此間九日、暑湿の労に神をなやまし、病おこりて事をしるさず>とある。
さまざまな歓待を受け、酒田には10日近くも楽しく滞在したが、いよいよ別れ、北陸の方へ発つ。加賀の府・金沢までは、130里(約520キロ。現在のJRの路線でも、この間の距離は480キロある)だと言う。越中の一振(芭蕉の思い違いで、一振はまだ越後だそうだが)に着く。この間9日間(実際には、16日かかっているのだが)、暑いは、雨には降られるはで、体調を崩したので、あまり書きたくもない、ということだろうか。
たしかに、そうなんだ。長い距離、半月にも及ぶ道程なのだが、芭蕉があまり書きたくない、というか、サッとすっ飛ばしているのには、訳がある。曾良の『旅日記』などを合わせ考えると、4つの理由が考えられる。
一つは、以前、嵐山光三郎が触れていた「出羽三山詣でが、この旅の芭蕉最大の目的」ということ、そして、山本健吉が言っていた「この旅での芭蕉の大きな目的は、松島と象潟の風光を見、愛でること」を紹介したが、その大きな目標をともに達成した、ということである。大きな目的は成し、憧れの地にも立った。あとは、帰るのみ、という心境になったらしい。
二つめは、この先、道のりは長いのだが、いわゆる有名な名所・旧跡といったものがあまりない、ということもあろう。江戸期の人ということもあろうが、私などから言わせれば、芭蕉は、神社、仏閣にとどまらず、驚くほどの名所・旧跡好き。「これからは、大したものはないなあー」という思いはあったろう。
三つめは、芭蕉も書いているように、暑さと雨(曾良によれば、この間ずいぶん雨に降られている)で、身体の具合が悪くなってしまった、という物理的、身体的な理由。
そして、四つめは、精神的な理由がある。こう言っちゃなんだが、これがなかなか面白い。「大宗匠、大先生の俳聖・芭蕉もやはり人の子、オレたちとあまり変わらないな」と思うんだ。どういうことか、と言うと・・・
曾良のこの間の『旅日記』に、しばしば宿についてのトラブルが出てくるんだ。
例えば、7月2日(新暦8月16日)には、入った宿屋が追込宿(一部屋にどんどん人を詰込む宿。今のバックパッカーの若者ならお馴染みの、ドミトリーのようなものだろう)で、飛び出たり、7月5日(新暦8月19日)には、柏崎で泊まる予定の宿に断られる。紹介状を持っていったにもかかわらずだ。芭蕉は、憤然として出る。後で気がついたのであろう、宿の者が2度追いかけてくる(おそらく、「先ほどは申し訳けなかった、お戻りください」と言ったのだろうが)のだが、芭蕉は戻らず、その日は、少し先の鉢崎という所の宿に泊まる。
その翌日の6日(新8月20日)には、直江津で、紹介状を持っていった聴信寺というお寺にも、宿泊を断られる。この時には、石井善次良というおそらく芭蕉の名を知る者が顛末を知り、人を追いかけさせる。「お戻りください」と言ってだろう。腹の立っている芭蕉は、もちろん戻らない。追い返す。二度も三度も追いかけてきて、「どうか、お戻りを」と言うのだが、その都度、芭蕉は追い返す。芭蕉も意地になっている。「意地でも戻るか」と、意地を張り通す。
ところが、その時、また雨が降ってくる。芭蕉は、困った。このまま意地を張り通すべきか、しかし、この雨の中で宿を探すのも大変だし、と考えただろう。
芭蕉は、こうしたんだ。まず、シブシブという顔をして、「あんな寺には戻りたくもないが、お前がそれほど言うのならば、戻ってやろう」と言って戻ったんだ。嵐山も山本も書いてはいないが。どうして、お前にそんなことが解るのか、と思われるだろうが、解るんだ。曾良がこう書いているから。<幸ト帰ル>と。
俳聖・芭蕉も可愛いところがあるんだ。すぐカッとしたり、子供みたいに意地を張ったり。そういうところが、人間らしくて、また面白いんだが。その点、曾良は、几帳面であるばかりでなく、冷静だな。完璧な補佐役だ。
それはさておき、こういうことも言えるな。江戸の大宗匠である芭蕉の名は、ある程度の町ではよく知られ、土地の名士のタニマチもいて、下へも置かぬ大歓待を受けるが、地方へ行くとけんもほろろの扱いを受ける。芭蕉にとってはショックだったろう。「オレのことを知らないのか」と。しかし、現代の第三者から見れば、これもまた、面白い。今でも、こういうことってあるもの。
この寺、シブシブ戻ってやった、という顔をして戻った寺には、翌日も泊まる。翌日も、また雨だったから。
今日は、一気に一振まで追っかけるつもりだったが、素っ気ない芭蕉の記述の第4の理由のところで、長くなってしまい、眠くもなってしまった。
それ故、今日はここまで。続きは、明日とする。