12月8日。

<昭和十六年十二月八日 月曜日 午前零時十五分、在本邦米国大使ジョセフ・C・グルーは外相官邸を訪れ、大統領の天皇に対する親電を・・・、・・・直接天皇に奉呈したき旨を述べ、・・・外務大臣東郷茂徳に・・・、なるべく早く謁見できるよう特別の配慮を願い出る>。
『昭和天皇実録』の昭和16年(1941年)12月8日の記述は8ページに亘っている。まず米国大使・グルーの動きから。
日本軍によるパールハーバーへの奇襲を、ルーズベルトは事前に知っていたという話がある。日本に攻撃させて「汚いジャップ」を作りだす、という意図。が、このグルーの動きから見れば、そうかなという思いも沸く。いや、これも陽動作戦との思いもある。


昭和16年12月8日の昭和天皇の動きと、40年前の12月8日、ニューヨーク、ダコタハウスの前でのジョン・レノンの殺害、この二つのことを記そうと考えていたのだが、途中で身体が痛くなり続けることができない。
残念なことだが、だんだんこうなってくる。致し方ないことだが、とてもつらい。

マンク。

1894年、リュミエール兄弟が映画を創りだして以来、これぞ名作と言われる映画が次々に生みだされた。歴代トップは? と。
私自身は、フランシス・フォード・コッポラの『ゴッドファーザー』や『地獄の黙示録』、マーティン・スコセッシの『タクシー・ドライバー』、リュック・ベッソンの『レオン』、クエンティン・タランティーノの『パルプ・フィクション』などが印象に残る。さらに加えるとクリント・イーストウッドの作品となるか。
しかし、3、40年前に歴代トップの座を争っていたのは、エイゼンスタインの『戦艦ポチョムキン』とオーソン・ウェルズの『市民ケーン』であった。
『市民ケーン』、弱冠25歳のオーソン・ウェルズが全権を委任され脚本、監督、主演を成した。
共同脚本家がいる。ハーマン・J・マンキーウィッツ、通称マンクである。アルコール依存症のマンク、年下の天才坊や、オーソン・ウェルズに尻を叩かれる。
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Netflixの作品、キネ旬の中にも小さなチラシ以外何もない。
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『マンク』、監督:デヴィッド・フィンチャー。脚本は父親のジャック・フィンチャーが残したもの。
『市民ケーン』、新聞王、チャールズ・フォスター・ケーンを揶揄している。モデルはウィリアム・ランドルフ・ハーストである。
ハースト、若いマリオン・ディヴィスをとてつもない城に囲い込む。彼女をスターにしようと金を注ぎ込む。が、これは些細なこと。
1930年代のハリウッド、1934年のカリフォルニアの知事選も出てくる。ウィリアム・ランドルフ・ハースト、ドナルド・トランプを思わせる。
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”Rose bud”(バラのつぼみ)。
ハーマン・J・マンキーウィッツ、マンクは1953年、アルコール依存症で死ぬ。享年55。

ジョーカー。

知らないことが多くある。アメコミのことである。
日本のマンガもまるでからっきし知らないのに、アメリカン・コミックスのことを知らないなんて当たり前である。
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その名だけだが「バットマン」というのは知っている。アメコミのヒーローのひとりだそうだ。
で、「ジョーカー」は「バットマン」に出てくる悪役だそうだ。悪役の中の悪役、「スーパーヴィラン」と言うらしい。
ジョーカーであるアーサーは、母親のペニーと暮らしている。ゴッサムシティーで。ゴッサムシティー、ニューヨーク、マンハッタンに近いブルックリンかブロンクスあたりと思われる。アーサー、スタンダップコメディアンを目指しているんだ。
社会格差の問題も思わせる。
億万長者と言われるドナルド・トランプが、この10数年の間に1年に750ドルしか税金を払っていなかったということも。
ジョーカーは、悲しく哀しいんだ。
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『ジョーカー』、監督:トッド・フェニクス。
昨日記したように、この作品は昨年度のヴェネチア国際映画祭で金獅子賞(作品賞)を取った。
今年のアカデミー賞でも、作品賞、監督賞、その他11部門にノミネートされ、主演男優賞を取った。ホアキン・フェニクスである。
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ホアキン・フェニクスの怪演、得も言えず、死と同等。


「はやぶさ2」が帰ってきた。
3億4000万キロをも飛んで、直径900メートルの小さな惑星・りゅうぐうの砂を掴んで。
驚くこと以外ない。


ラグビー早明戦、早稲田完敗。

異端の鳥。

人間は、自らと異なる異物に対してはこれほどに残虐になれるのか。過激、残虐な映像が次々に現れる。
今年のヴェネツィア国際映画祭では、黒沢清の『スパイの妻』が銀獅子賞(監督賞)を取ったが、昨年のヴェネツィア映画祭の金獅子賞(作品賞)を取ったのはトッド・フィリップスの『ジョーカー』であった。が、その『ジョーカー』を凌ぐショックをヴェネツィアに与えたのは、ヴァーツラフ・マルホウルの『異端の鳥』であったそうだ。
凄まじい作品である。
ヴェネツィアでは、映写が始まった直後からその映像の凄まじさに席を立つ人が多かった、という。しかし、終わった後にはスタンディングオーベイションが10分にわたり続いたそうだ。
多くの評者の評価は、「何と言う傑作」という声ばかり。この作品を傑作と言わずして、映画評論家を名乗ることはできない、という連中ばかり。
谷川俊太郎は、「見終わって私の言葉はしばし仮死状態に陥りました」、と語り、小川洋子は、「邪悪を射抜く少年のまなざしに、魂を奪われ、ただ立ち尽くすしかない」、と記す。
確かに、そう。
第二次世界大戦中、ホロコーストを逃れて逃走した少年、行く先々で彼を異物と見なす人々から、これでもかという仕打ち、迫害を受ける。
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『異端の鳥』、原作はポーランドの作家、イェジー・コシンスキが1965年に発表した作。が、ポーランドでは発禁書となった。異物を排斥する様をこれでもかと描いているんだ。
コシンスキはアメリカへ亡命する。が、その後、コシンスキは60歳で自死を遂げる。
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『異端の鳥』、監督:ヴァーツラフ・マルホウル、チェコ、スロバキア、ウクライナの合作。
『異端の鳥』、原題は”The Painted Bird”、「彩られた鳥」である。
こういう映像が流れる。
ペンキか何かで鳥の羽に彩色し、空に放す。放たれた鳥は仲間たちのもとに飛んでいく。が、仲間の鳥たちから寄ってたかって攻撃され、死んで地表へ落ちる。
羽に色を塗られた鳥は、異物、異端の鳥となったんだ。
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第二次世界大戦中の話だという。しかし、出てくる人々はまるで中世の人。500年前のボスやブリュウゲルの世界である。馬車や荷車が走っている。自動車の影も見えない。
東ヨーロッパであることは分かる。しかし、東欧のどこであるのかということは分からない。ドイツ兵やソ連兵がドイツ語やロシア語を話す。が、出てくる人々が話す言葉は、インタースラヴィックという人工語。
戦火を逃れ彷徨う少年、悪魔祓いの女から「悪魔の子」とされる。首から下を地中に埋められ、カラスの群れから頭をつつかれる。
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黒十字のプロペラ機が飛ぶ。
第二次世界大戦中のことなのか、不思議に思う。
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凄まじい映像が次々に現れる。
ハーケンクロイツのナチスの兵隊が、東ヨーロッパの人たちを次々と射殺している場面、馬に乗ったコサック兵団が、村々を襲い殺戮、凌辱を行なう様。
粉屋のオヤジが自分の女房に色目を使っているとして、その男の両眼をスプーンでえぐり出す。色情狂の女がヤギと交わりその獣姦の様が流れる。
これでもかこれでもかという場面が流れる。
3時間近い長尺。しかもモノクロームである。
8、9年前のハンガリー映画、タル・ベーラの『ニーチェの馬』を思い出す。『ニーチェの馬』も2時間半を超える長尺、モノクロ作品であった。
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唯一、心休まる場面であったであろうか。
少年を銃殺すべきナチスの兵士、少年に顎を動かし逃げろと示し、空に向けて発砲する。
他は悍ましい場面のみ。


菅義偉と小池百合子、合意と称する中途半端なことを成している。
その内、東京の感染者は1日1000人を越え、日本全国でも3、4000人どころか5000人に近づくであろう。
菅と小池という男と女が首相であったり都知事であったりという国民の不幸を、幾重にも蒙っている。
日本国民全員が、菅と小池から。


香港では、周庭が禁固10か月の刑を受けた。何て理不尽な。
アップルデイリーの黎智英も拘束された。
香港はとても魅力的な街であった。が、その街は、死んでしまった。

50年。

昨日は、腹立たしくて仕方なかった。急に文字が打てなくなった。どうしてもウンともスンとも行かない。
「50年」ということについて記そうと思っていたのだが、今日でなければ「50年」じゃなくなっちゃうじゃないか。明日ならば正確に言えば「50年1日」となってしまう。腹立たしいが、どうしようもない。
今日、ふっと気がついた。キーボードがワイヤレスであることに。電池だ、と言うことに。前回電池を変えたのは何時だったか、まったく覚えていない。つい目の前のことなどまさに盲点、目につかぬことだ。
何のことはない。電池を変えると作動した。
厳密に言えば「50年1日」であるが、タイトルはそのまま「50年」として。


その日のことは、よく憶えている。2年遅れで入学した大学も、結核の再発もあり休学、8年でやっと卒業したが、28歳となっていた。まともな就職などおよびもつかず、食うや食わずの日常を送っていた。その翌年、昭和45年11月25日、事件が起こった。
昼近く起き、朝飯を食おうかという時であった。テレビに自衛隊市谷駐屯地のバルコニーで仁王立ちする三島由紀夫の姿があった。それまで見知ったオモチャの兵隊か宝塚を思わせる楯の会の制服を着た。
「話を聞け。男一匹が命をかけて諸君に訴えているんだぞ。・・・ただアメリカの軍隊になってしまうんだぞ。・・・」って。憲法を改正し、自衛隊を正真正銘の国軍、天皇の軍隊にすることを述べている。
額には「七生報国」と記された鉢巻き。「天皇陛下万歳!」を叫び、引っこんだ。
その後の、腹真一文字の切腹、森田必勝による介錯、刎頸の様は、新聞、テレビで次々と報じられた。


三島由紀夫の自裁から丁度50年となる昨日の朝毎読の夕刊、朝日は2面全面「没後50年 三島由紀夫 多彩なる才能」として「お耽美」世界の王道大まじめに」とか審美眼、他。3面の半分も三島由紀夫。毎日には、浜崎洋介の「三島由紀夫が否定した戦後」があるが、どういうことか、読売には三島由紀夫がらみの記事はない。これもなんとー。
東京新聞に、徳岡孝夫の「なぜあの日、そこに 貸した『和漢朗詠集』 何を悟ったか」、という記事がある。
徳岡孝夫は、あの日、三島から市ヶ谷へ来てくれという電話を受けていた男である。自衛隊の敷地内のことであるから、自らの行動を覆い隠されて発表されることを恐れた三島がキチンと伝えてくれ、と託されていたんだ。三島の信頼が深かった模様。
徳岡孝夫は、90ぐらいになるがまだ存命。三島由紀夫が自衛隊市谷駐屯地のバルコニーで演説している時もすぐ下にいた。大阪生まれの徳岡孝夫、「死んだらあきまへんでー」って言ったら聞こえたかな、と語っている。
徳岡孝夫著『五衰の人』(1996年、文藝春秋刊)には、以前私も記したことがある石原慎太郎との『尚武のこころ』所載の「何のために死ねるか」とのことごと、溢れるように出た三島論の中で最も説得力のあったのは石川淳氏の文である、というような記述がある。石川淳の考えは深い。


<前略 
小生たうとう名前どほり魅死魔幽鬼夫になりました。・・・。ずっと以前から、小生は文士としてではなく、武士として死にたいと思ってゐました。>(『三島由紀夫未発表書簡 ドナルド・キーン氏宛の97通』1998年、中央公論社刊)。
三島由紀夫、<小生の行動については、全部わかっていただけると思ひ、何も申しません>、と記している。ドナルド・キーンには解ってもらえるはずだ、と。


中条省平編・監修『三島由紀夫が死んだ日』(2005年、実業之日本社刊)には何人もの人が三島を語っているが、篠田正浩の「日本という病」が正面から対峙している。
篠田正浩、昭和6年生まれ。三島よりは6年年下。が、近い年代と言えばそうも言える。しかし、何度か行きあった三島と篠田、三島が常に上から目線であるのが面白い。


毎月25日発行の「芸術新潮」、昨日12月号が出た。
「特集 没後50年 21世紀のための三島由紀夫入門」。「命がけのトリックスターがいた!」とサブにある。
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同誌を複写。
(左)昭和38年、細江英公撮影、(右)昭和24年、林忠彦撮影。
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(左)昭和45年、自衛隊市谷駐屯地へ乗りこんだ三島由紀夫と楯の会の森田必勝以下4人。
(右)昭和31年、神輿をかつぐ三島。軟弱な身体からムキムキの身体への変貌を遂げる過程。
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現在の日本文学を論じるに、平野啓一郎を避けることはできない。
暫らく前、テレビでこう語っていた。「自分も今、44歳となる。三島が自裁した歳とほぼ同じ歳である」、と。
確かにそう。三島由紀夫は45歳にして押しも押されもせぬ大家であった。そのことに改めて驚く。


三島由紀夫が終生対峙したのは、昭和天皇であった。
以前、このブログで、昭和天皇が内心気にかけながらも、決して表に出さない男として3人の男のことを記したことがある。出口王仁三郎、北一輝、そして三島由紀夫の3人。
三島由紀夫、『英霊の聲』で昭和天皇を糾弾した。
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<などてすめろぎは人間となりたまいし>、と。


『昭和天皇実録』の昭和45年11月25日の記述に、三島の自裁に関する記載はない。
翌26日、<侍従長入江相政の拝謁をお受けになり、作家三島由紀夫についてお話になる。>、との記述があるが、事実関係を記しているのみ。昭和天皇が三島の行動にどう思われたのか、といった」ことに関しては一切言及なし。


近場でも三島の自裁に関して、何冊もの書が上梓されている。
ほんのひと月前、10月末に上梓された佐藤秀明著『三島由紀夫 悲劇への欲動』(岩波書店 2020年10月刊)も面白い。
こういう記述がある。
ゾルレンとしての天皇」として、「斬り死にの計画」という件がある。三島由紀夫の当初の計画は「皇居突入」だったのではないか、というのである。十分考えられる。
三島由紀夫、昭和天皇と刺し違えることも考えていたのでは。
それだけに昭和天皇も存在感があった。
翻って、今上天皇は。
何日か前、天皇、皇后がリモートで感染症の専門家の話をお聞きになられた、というニュースが流れた。激励のお言葉をかけられたそうだ。が、国民には跳ね返ってこない。
何か月も前、原武史が記していたが、国民に対する天皇の言葉が必要じゃないか。菅や小池の言葉じゃなく。


矢口高雄が死んだ。
「釣りキチ三平」の矢口高雄。ずいぶん昔、仕事がらみで仕事場へお邪魔した。思いに残る。


マラドーナが死んだ。享年60。
5人抜きゴールは、今後するヤツが出るかもしれないが、神の手ゴールは、マラドーナに限ったもの。


50年、あれから50年である。
ずいぶん生きたな、という思いはある。50年か、どう言ったらいいのやら、という思いもある。
いずれにせよ時は経った。

大ちゃん、間もなく定年。

大ちゃん、来月9日に満65歳となり、日本相撲協会を定年となる。
昨日打ち挙げた大相撲11月場所中日のNHK正面解説は、大ちゃんであった。
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元大関朝潮太郎の高砂親方、大ちゃんの愛称で知られた。
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私の好きな力士であった。
近大の時、2年にわたり学生横綱とアマチュア横綱を取っている。
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昭和53年(1978年)3月場所、幕下付出で初土俵。大ちゃん、愛くるしい。
同年11月場所、初土俵からわずか5場所で入幕する。
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昭和55年(1980年)5月場所、新三役に。
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現役時代の大ちゃん、身長183センチ、体重も183キロ、あんこ型の力士であった。
立ち合いのぶちかましで、額がよく切れた。これも大ちゃんの魅力であった。
そう言えば、最近は「あんこ」や「そっぷ」という言葉を聞かなくなった。どうしてだろうかな。
私は今でも「あんこ型」の力士が好きである。例えば千代大龍のような。
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昭和58年(1983年)、大ちゃん大関に昇進する。
今と違って強い横綱がいた時代である。輪湖の輪島と北の湖、三重ノ海、さらに千代の富士、と。
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優勝決定戦へも3度出るが、いずれもはね返される。
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昭和60年(1985年)、大ちゃん、ついに初優勝。
優勝パレードの旗手には幕内から十両へ落ち引退表明をしていた富士櫻を指名した。大ちゃん、自分をここまでにしてくれたのは兄弟子の富士櫻あってこそ、との思いがあった模様。
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あの時代、強い力士がひしめいていた。
憎らしいほど強いと言われた北の湖は、その筆頭であった。
が、大ちゃん、その北の湖に13勝7敗とダブルスコアに近い結果を残している。憎らしいほど強いと言われたあの北の湖に。大ちゃんはこの日、「北の湖とは取りやすかった」と語っている。
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昭和64年(1989年)、大ちゃんは引退し親方となる。
引退後、9人の関取を育てた。
筆頭はやんちゃな横綱・朝青龍だ。大ちゃん、朝青龍には振り回された。相撲協会から監督責任を問われ、2階級降格処分を受けた。
大ちゃん、それでも腐らず一両年の内には横綱になるであろう朝乃山を育てた。自らの定年までには間に合わなかったが。
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現役時代の大ちゃんの笑顔。いいねー。
再雇用制度で協会には残ると言うが、大ちゃん、表舞台からは消えていく。寂しい。


今日、横審は、休場が続く鶴竜と白鵬の二人の横綱に「注意」の決議をした。
「注意」、「引退勧告」に次ぐ重い決議である。

おかしな場所であったな。

今日、大相撲11月場所千秋楽。一年納めの場所であった。
が、何ともおかしな場所であったな、という思いがある。
初日から白鵬、鶴竜の両横綱が不在であった。ならば優勝候補の筆頭と言われていた朝乃山は早々と休場した。次いで新大関の正代も休場。横綱、大関で土俵に上がるのは貴景勝のみ。
優勝は貴景勝だなという流れになり、結果もそうなった。
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今場所中日を終わった時の星取。
貴景勝のみが勝ちっぱなし。
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が、9日目にその貴景勝、何と翔猿に敗れた。
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9日目が終わった時の星取。
全勝がいなくなった。照ノ富士も敗れ2敗。御嶽海は3敗目を喫している。
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10日目。前日貴景勝を破った翔猿を、照ノ富士は豪快につり出す。照ノ富士、翌日も妙義龍をきめ出す。外四つから相手の両腕をきめつり出したり、きめ出したりする技、久しぶりに見る。
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10日目が終わった段階での星取。
御嶽海、この日も負けている。
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12日目が終わった段階の星取。
貴景勝を照ノ富士が追走する。御嶽海、9日目から4連敗。
実は、幕尻の志摩ノ海が1敗である。またも幕尻優勝か、という声があがってきた。
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その志摩ノ海、13日目に貴景勝との割りが組まれた。志摩ノ海、善戦するも敗れた。
「これからの3場所が大事」と公言する照ノ富士は、貴景勝にピタリとつける。
御嶽海はこの日も敗れ後がなくなった。「負け越すぞ」との声が聞こえる。
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14日目、貴景勝と御嶽海の一番。
これまでの対戦成績はまったくの五分である。が、御嶽海、貴景勝に突き出され負け越した。
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今日、千秋楽、貴景勝と照ノ富士の大一番。
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土俵下、控えで出を待つ両力士。
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照ノ富士、本割の大一番に勝つ。貴景勝を浴びせ倒す。
両者、13勝2敗の同星。優勝決定戦となる。
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右肩に土俵の沙をつけた貴景勝、下がっていく。
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優勝決定戦。
貴景勝は照ノ富士を押し出し2度目の優勝を遂げる。
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今場所の星取。
宝富士、栃ノ心、玉鷲、高安といったベテラン衆は勝ち越した。また、大栄翔や北勝富士といった実力者も。
しかし、世代交代の波はヒタヒタと押し寄せている。
解説の北の富士さんが「ちょっと家賃が高すぎるだろう」と言っていた琴勝峰も、今日は負けたが勝ち越した。初三役が関脇となった隆の勝も勝ち越した。今場所は負け越したが琴ノ若、豊昇龍、さらには来場所は十両に上がることが確実な納谷も楽しみ。
若手力士が世代交代を促している。
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このような場所であったが、貴景勝にとって来場所は綱取りの場所となる。
白鵬あたりがガツンとはね返す、ということも考えられなくはないが。
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おかしな場所であったな、という思いはあるが、貴景勝二度目の賜杯で千秋楽となる。