「住み果つる慣らひ」考(3)。

さまざまな人が「どう死ぬかってことは、どう生きるかってことなんだ」、と言っている。
じゃあ「生きるってなんなんだ」ってことになってくる。
こんなこと、もの思う10代後半の若者ならばいざ知らず、77歳・喜寿を迎え、時折り入退院を繰りかえすジジイが考えることじゃないってことは重々承知はしているが、考えている。
で、再読するものもあり、初めて目を通すものもあり、幾らかの書物を読んでいる。
山折哲雄の書にこういう記述があったのには驚いた。
<人生80年という事態はせいぜいこの30年くらいのことでしょう。それまではだいたいのところ人生50年でやってきた>(山折哲雄『往生の極意』2011年 太田出版刊)、と。
その後、山折哲雄、織田信長の幸若舞の「敦盛」の「人間50年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」が知られるとし、<江戸時代の後期、人口3千万のときは人口学の研究によれば、当時の平均寿命が50歳とされています>、と続ける。
さらに山折哲雄、明治維新直前の元治元年(1864年)の歌舞伎演目『切られお富』(河竹黙阿弥)の台詞の一節を述べている。
これが面白い。少し長くなるが引用する。
<そのなかに「お前を捨てたも栄耀がしたさ、人間僅か五十年、半分寝りゃあ二十五年、息のある内半日でも仕度えことをするのが徳、これがいまの流行だよ」とあります>、と。
16世紀後半の信長から19世紀後半の明治維新まで約300年間、日本人の平均寿命は50歳だったんだ。
それよりも河竹黙阿弥、切られ与三郎に「息のある内半日でもしたいことをするのが徳」と言わせている。そうだよな。たしかに、そう。
それはそうとし、明治維新から今年は150年、この間に、特にこの数十年に日本人の平均寿命は伸びちゃったらしい。85歳前後まで。
驚く。
今日記そうと思っていたことの半分も来ていないが、眠くなってきた。
山田風太郎のようにウィスキー(バーボンではなかろうスコッチに違いない。オールドパーかグレンフィディックか、より高級なものであろう)ではなく、近所のスーパーで買ってくる紙パックの焼酎のお湯割りを飲みながらPCのキーを打っているが、うつらうつら。
後は明日にする。