花柳月江、「江戸風流」を舞う。

この年初、<5月3日に最後になると思う舞台を国立でします。体力、気力、財力の限界です。お時間があったら観にいらして下さい>、という賀状が届いた。50年以上、60年近く前の学部のクラスメートからである。
まともに学校へ行っていなかった私はよくは知らないのだが、クラスの女性は皆さんよくできたようだ。もっとも、男でもできのいいヤツはいたろうが。が、女性はよくできた。特に語学は。
そのよくできた女子学生のひとりは後年、日本舞踊のお師匠さんとなった。花柳月江という名の舞踊家に。
先月初めのころだったであろうか、その花柳月江から国立劇場のチケットが送られてきた。
今日、クラスメート何人かで観に行った。

地下鉄の半蔵門で降り、国立劇場へ。

国立小劇場での第5回翔英会。

会場出入口の横に上演予定時間表が掲げられている。
私たちが観るべきは、5時29分からの「大和楽 江戸風流」である。
私たちは4時に待ち合わせ、それまでの時間を劇場内の喫茶店で語る。終わった後の飲み会をしないこととしてある故。

5時前に劇場内へ入った。
「常磐津 積恋雪関扉」の途中であった。次いで「長唄 松風」があり、いよいよ花柳月江が舞う「大和楽 江戸風流」となる。
ところで、長唄や清元、常磐津と異なり、「大和楽」って何なのだって思っていたら、こういうものだそうだ。昭和の初め、大倉喜七郎が創った新しい邦楽だそうだ。
「江戸風流」は、作詞:二村美津夫、作曲:大和久満。
踊り手は3人。女が一人、男が二人。花柳月江は男のひとりを舞う。
とても面白い作品であった。花柳月江の踊りも素晴らしかった。粋でいなせ。まさに江戸の風流。それがよく表現されていた。
二村美津夫による詞、お江戸の風流をよく伝える。
   北斎描く江戸八景・・・・・ ・・・・・
   ・・・・・ ・・・・・
   葛飾北斎欄干により人の別離の姿を描く
   ・・・・・ ・・・・・
   上野の山の・・・・・ ・・・・・不忍の池
   ・・・・・ ・・・・・
   咲いたさくらに灯もなまめきてさんざめくここ吉原は仲の町
   ・・・・・ ・・・・・
   三社祭りの山車が行く・・・・・ ・・・・・
   ・・・・・ ・・・・・
   両国橋の・・・・・ 屋形屋根船猪牙も行く
   ・・・・・ ・・・・・
   火の手見えしは浜町あたりか お江戸名物宵の火事
   鐘がじゃんと鳴りゃ・・・・・ ・・・・・
   ・・・・・ ・・・・・
棒縞に流水紋の衣装で踊る花柳月江、とても鯔背・イナセ。たちどころに時は経つ。
緞帳が降りると、私たちは席を立ち、楽屋へ向かう。
楽屋への廊下に「すっぽん」と記した木製の装置があった。「すっぽん」、迫(セリ)である。3メートルばかりのものであったので、小さなセリなんだろう。

楽屋の廊下で花柳月江と写真を撮る。彼女を真ん中にして。
棒縞に流水紋の着物、とても粋。
難病認可に一歩手前という50年来永久幹事のOには、奥方が付き添っている。

花柳月江、孫とも。

花柳月江、孫が4人いるそうだ。
実はこの写真には、よく見ると4人の孫が写っている。大学1年から生後2か月の赤ちゃんまで。
花柳月江、年初のハガキに記されていたたような<体力、気力、財力の限界です>、なんてことにはまったくない。元気なおばあちゃん。

ここにも花柳月江の4人の孫が。
左に2人の女の子が。
花柳月江が抱いているのは、生後2か月の赤子。

あ、泣いちゃった。
泣き顔もかわいい。

帰りは楽屋口から出た。
そこにこの神棚がある。

お土産をもらった。
これ、弁当。
遥か以前、仕舞を習っている女性から水道橋の宝生能楽堂へ誘われた。その折り食べた弁当は茶巾寿司であったことを思いだした。