やまとめぐり(5) 橿原神宮。

天照大神の子孫である神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)は日向国に住んでいたのだが、「日向国は、端っこにありすぎる。天下を安らかに治めるには、どこの地がいいのだろうか」、と考える。で、兄貴と共に東の方へと進んでいく。
日向を進発した神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)は、宇佐、筑紫、安芸、吉備、を経て浪速に至り、さらに大阪湾を南下し熊野に入り、八咫烏(ヤタガラス)の導きで大和入りを果たす。各地で激しい抵抗にあいながらも、それらを撃破して。
『記紀』に描かれる「神武東征」の物語であるが、この神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)が、のちに諡して神武天皇となる。
菅野雅雄編著『古事記 神話と天皇を読み解く』(新人物往来社 2012年刊)、また、由良弥生著『眠れないほど面白い「古事記」 愛と野望、エロスが渦巻く壮大な物語』(三笠書房 2013年刊)から荒っぽく引いた。
まあ、たしかに『古事記』なるもの面白い。もちろん原文ではなく、このような解説書でしか知らないが。
万世一系の皇室の祖の皆様方、謹厳実直、真面目、真面目の現在の皇室の皆様とは大違い。皆様、天真爛漫、可愛い娘がいればすぐに言い寄り○○○、と神話の世界の人なんだが、とても人間的。
こんなことを記していては、どんどんわき道に逸れてしまう。初代天皇である神武天皇のことに戻る。
大和八木のホテルに小さなリュックを預け、橿原神宮へ行った。大和八木から橿原神宮前までは、近鉄で5、6分。
駅から橿原神宮までは、500メートルほどある。タクシーもあるが、ここは歩く。

橿原神宮の一の鳥居が見えてきた。

このようなものがある。
橿原神宮、その祭神は神武天皇で、こうこうと。

神武天皇、日本の初代天皇である。
だから、<ようこそ、日本のはじまりへ。>。

橿原神宮の案内図がある。
今は、一の鳥居の手前にいる。

このような立札も。
神域でドローンを飛ばす不届き者がいるのか。神罰を食らえ。

一の鳥居。
表参道、真っすぐに延びている。

表参道の両側には、奉献された灯籠が連なる。
近寄ると、<奉献 一金壱百伍拾萬圓也 ○○○>、と記されている。150万円の人が多かったが、中には200万円、300万円という人もいた。

進んでいくと、神橋と二の鳥居が現れる。

その先に南神門前の広場がある。
歩行補助具を使うおばあさんも。

オッ、赤い袴の巫女さんが通りすぎた。

南神門。
あちこちに菊の御紋章。

南神門の横にはこのような文字が。
<紀元二千六百七十六年>の文字。その横には、<神道青年全国協議会 神武天皇二千六百年記念事業 国家安寧祈願祭 六月八日午前十時三十分>、と記されている。
どういうことか、少しおさらいをする。
第一代天皇・神武天皇、庚午年一月一日に誕生され、辛酉の年、神武元年、52歳で即位する。西暦で言えば、紀元前660年である。
南神門の横に記されていること、それから、2676年ということである。
また、神武天皇2600年というのは、神武天皇が崩御されてから2600年ということである。
つまり、神武天皇、127歳の長命であった。
神話の世界ではある。しかし、それはいかなることか、今もその問いかけは続く。

南神門を通り、神域へ入る。
左手に外拝殿が見える。そのうしろには、丘とも見えるなだらかな山・畝傍山が。

外拝殿。

外拝殿に入る。

これは。
ただならぬ雰囲気。

内拝殿の右側。

左側。

多くの神職が。
このような光景、見たことがない。

ひとりの神職が立ちあがり、、幣殿の方へ。

内拝殿から幣殿の方へ上がっていく。

儀式は進む。