賀茂別雷神社。

神社の来歴など古いのが当然、どこも「へー、そうなんですか、そんなに」、というものが普通であるが、ここはとりわけ古い。
賀茂別雷神社(上賀茂神社)である。何しろ、こうである。

神武天皇の時代に、賀茂別雷大神が神山に御降臨し、賀茂祭(葵祭)は、欽明天皇の御代に始まっている。
<皇室の御崇敬は歴代にわたり、行幸啓は枚挙にいとまあらず、国家の重大事には必ず奉幤御祈願があった>、と賀茂別雷神社のパンフレットにある。
数日前、「龍谷ミュージアム」について記した折り、大谷光瑞に触れ、大谷家と皇室の繋がりは深い、と書いたが、賀茂別雷神社と天皇家の関係、それどころじゃない。神代の昔から。

賀茂別雷神社賀茂別雷神社の境内案内図。
手前が一の鳥居。その先に二の鳥居があり、幾つもの社がある。

二の鳥居。
その先には、左から細殿、舞殿、土屋が見える。
細殿は、行幸の際及斎主の御著到殿。舞殿は、勅使の殿舎。土屋は、神主などの著到殿。いずれも、そのようなお社だそうだ。

賀茂別雷神社、解かりやすく言えば、このような神社なんです。

細殿の前には、立砂がある。左右一対。
<円錐形の麗しい御神体である神山をかたちどったもので一種の神籬(ひもろぎ)、憑代(よりしろ)である>。さらに、<鬼門、裏鬼門にお砂「清めのお砂」をまくのはこの立砂の信仰が起源である>、とパンフにはある。「清めの塩」は、さらに進化したものだな、おそらく。

細殿から楼門の方へ歩くと、こんな小さな橋がある。石の橋。樟橋、別名、長寿橋、と書いてあった。

楼門の向こうに、本殿、参拝所が見える。

正面には本殿、その左側には権殿がある。共に国宝。中に入ると写真は撮れない。これは、中門の外から撮った本殿。
料金500円の特別参拝というシステムがある。中門の内側、本殿と権殿の近くまで行くことができるシステム。神職が案内する、という。もちろん、申しこんだ。料金を払うと、直会殿というところへ入った。

ここである。暫らく後で、若い神主が来て、お祓いをし、賀茂別雷神社についての諸々のことごとを説明してくれた。

特別参拝者が20人ばかりになると、神職の男が来て話を始めた。しかし、私は、早い方だったので、暫らく待っていた。
その間、直会殿の廊下に出て周りを眺めていた。古い桧皮葺の建物もある。ハデな赤い楼門も見えた。

賀茂別雷神社の多くの社、桧皮葺である。その葺き方は、こう。
それはそれとして、実は、賀茂別雷神社、平成27年に第42回目の式年遷宮を迎える。
賀茂別雷神社の式年遷宮、伊勢神宮には少し遠慮をしている。
伊勢神宮の式年遷宮は、20年に一度。しかし、賀茂別雷神社の式年遷宮は、21年に一度、という。皇室との距離が近いとは言え、伊勢神宮と同じとは考えておりません、という意思表示なんだ。この式年遷宮の1年の違いは。

で、桧皮葺の桧皮である。
桧皮奉納のお願、という看板がある。1枚2000円也と書いてある。このような奉納者の名前がある。元国務長官 島村宣伸、服飾評論家 市田ひろみ、俳優 AKB48 大島優子、俳優 豊川悦司、俳優 松平健。彼らが奉納した桧皮は、2000円也のものかどうかは知らないが。

賀茂別雷神社、多くの摂社や末社を持つ。
これは、須波神社という摂社。こういうことが書いてある。
<第42回式年遷宮事業、諸社殿桧皮屋根葺替工事、平成21年度第1期分、重要文化財「須波神社本殿」、平成22年6月末竣功>、と。平成27年が式年遷宮の年であるのだが、数ある社の式年遷宮、何年にも亘って続けられているようだ。