さいたまトリエンナーレ(1) 武蔵浦和あたり。
暫らく前、どの新聞だったか忘れたが、誰かが「最近は何々トリエンナーレだとか、何々国際美術祭だとか、何々アート何々だとか、同じようなものがあちこちで行われている。似たようなものも多く云々」、というようなことを言っていた。
いいじゃないか、幾つあろうと何処でやろうと、と私は思う。今年は、瀬戸内トリエンナーレへ、樂土の森アートプロジェクトへ、我孫子国際野外美術展へ行った。さらに11月中旬から今月初めにかけてはさいたまトリエンナーレへ行った。3日間、3度に分けて。ジジイとなっても、この手のものが好きなんだ。
さいたまトリエンナーレ、さいたま市が行っている。
そのさいたま市、デカイ町である。昔の大宮市も与野市も浦和市も岩槻市もみな一緒になってさいたま市となっている。
市から区となった浦和もデカイ。
「浦和」の名称が付いたJRの駅が、浦和、東浦和、西浦和、北浦和、南浦和、中浦和、それに武蔵浦和、合計7つもある。京浜東北、東北本線、埼京線、武蔵野線がタテヨコに走り交差しているから。
まず最初の日は、武蔵浦和へ行った。武蔵浦和近辺のみ。
JRの駅を降りてこう行く。分かりやすい。
黒い服を着た男が横たわっている。
その前には小さな子供がいる。
すぐ後ろは、東北、上越新幹線の高架である。
お父ちゃんらしい男が説明書きを読んでいる。
≪さいたまビジネスマン≫。
現代の涅槃像である。
何と、ラトビアの男が創った。
このようなものが幾つかある。
[
≪STATION TO STATION≫。
さいたまトリエンナーレの主催者の挨拶が掲げられている。
ディスプレイを広げてください。
このような企業、組織が後押しをしている。
ここにもこれがあった。
このタイの作家の≪時間の道≫という作品は何処にあるのか、分からなかった。
やっとのことで、これだっーってことが分かった。
そう言えば、途中に幾つものこういうものがあった。
ワンちゃんの落とし物はきちんと処理してください、という注意書きだとばかり思っていたが。
すぐに別所沼公園となる。
池、いや沼の左手奥に小さく2艘の船が見える。
これだ。
日比野克彦のこういう作品。
≪別所沼丸≫。
≪SAITORI丸≫。
日比野克彦の「種は船プロジェクト」今までもあちこちへ出没している模様、サイトリの後はいずこへ出帆したのであろうか。
さいたまトリエンナーレ2016の模様、暫らく続ける。
今日パソコンを開けたら、早見堯からのメールが入っていた。
一昨日記した「歯ごたえ 早見堯の美術批評」への早見堯の思いが記されている。その一部をコピペする。
<・・・・・貴重なご意見をブログで公開していただき、わたしの・・・・・。
同調してもらうよりも、違った意見を提示していただくのは、ありがたいことだと思っています。違った意見に打ち勝てる自分の考えを鍛え直せますので。
・・・・
フォーマリズムは、作品をできるだけ自分から突き放して、作品そのものから現れてくるものを見ようとする態度のことです。感想批評や印象批評を克服しようとして生まれた作品の見方です。>、と。
そうなんだ。
私もそうであるが、ある作品を見て、美しいとかきれいであるとか、と言っている。これ、間違いではないが、すべてではない。
それよりも何よりも、一昨日の私のブログの記載が、早見堯から「違った意見」として認識されたことを嬉しく思う。