シェルブールの雨傘。

50年前の映画、キネマ旬報の劇場でデジタルリマスター版が掛かった。

『シェルブールの雨傘』、1964年の作品である。
この年を挟んだ前後4年ばかり、私は碌に映画を見ていない。
大学3年になった4月、親父が死んだ。一銭の蓄えもない状況であったから、食うためにすぐさま仕事を始めた。2年足らずで結核が再発した。結核病院へ再入院。1年半余、病院のベッドで過ごした。大学は休学した。
で、よく知られたこの映画を観るのも初めて。

『シェルブールの雨傘』、監督は、ジャック・ドゥミ。それよりも、音楽:ミッシェル・ルグラン、主演:カトリーヌ・ドヌーヴで、あヽ、となる映画であろう。
ミッシェル・ルグランによるあのメロディー、それに、カトリーヌ・ドヌーヴの得も言えぬ美しさ。
映画自体は、恋物語のひとつの典型。港町・シェルブールに住む20歳の自動車修理工・ギィと、17歳の雨傘屋の娘・ジュヌヴィエーヴ、若い二人の恋物語である。

雨傘だけを扱っていて成り立つワケないよな、と思っていると、そうなる。
それにしても、カトリーヌ・ドヌーヴの美しさ、何とも言えない。

1950年代末、アルジェリア独立戦争の真っただ中だ。
自動車修理工のギィに召集令状が来る。アルジェリアに送られる。ギィとジュヌヴィエーヴ、その前夜、愛を交わす。
その翌朝のシェルブール駅。ギィを見送るジュヌヴィエーヴ。
アルジェリアへ行ったギィからの手紙は間遠になる。母親の雨傘屋の運営も厳しくなる。そんな折、私に手助けさせてください、という男が現われる。ジュヌヴィエーヴと結婚を、と。この男、ジュヌヴィエーヴの腹に宿ったギィとの間の子供も、自分たちの子供として育てよう、とも言う。鼻の下にヒゲを生やした見かけは胡散臭げな男なんだが、人は見かけによらないものなんだな。ジュヌヴィエーヴ、この男と結婚しパリへ移る。
アルジェリアで傷を負いシェルブールの町へ帰還したギィ、ジュヌヴィエーヴが結婚し、町を離れたと知り荒れる。が、叔母の娘・マドレーヌと結婚、ガソリンスタンドのオヤジとなる。

その4〜5年後、1963年12月のクリスマスが近い夜、ギィのガソリンスタンドへ一台の車が入ってくる。
運転席にいるのはジュヌヴィエーヴ。その隣りには、幼い女の子、ギィとの間に生まれた子供。ジュヌヴィエーヴ、あなたにとてもよく似ている、という。「会う?」というジュヌヴィエーヴの問に、「いや」と応えるギィ。
ジュヌヴィエーヴと娘は走り去る。クリスマスの買い物に行っていたギィのカミさんと息子が帰ってくる。雪の中、子供とたわむれるギィと小さな男の子。
そこへ、ミッシェル・ルグランのあのメロディーが被さる。これでもか、というぐらいに。ボリュームをあげて。
大衆演劇、座長公演の結末の如く。臭いと言えば、臭い。そうではあるが、泣けてくる。解かっていながら、泣けてくるんだな、これが。

それにしても、後年の貫録たっぷりの様と違い、半世紀前のカトリーヌ・ドヌーヴ、その眼差しと言ったら。

10日ほど前のNHKBS。夜中、1時前後であった。
「ナタリー・デセイ&ミッシェル・ルグラン・イン・ベルサイユ」という番組が流れていた。
ミッシェル・ルグランが、スタンウェイのピアノを弾いている。

「ギィ 愛しているわ」、と歌うのは、フランスが誇るソプラノ・ナタリー・デセイ。

『シェルブールの雨傘』の二重唱。

あの時間、どれほどの人が見ていたのか知らないが、素晴らしい絵と音であった。