「飯を炊け」。ブッ飛んでる。

40年以上前、1970年前後、新宿歌舞伎町の区役所通りから少し入った裏道に、木造の2階建てがあった。細い階段を上っていくと、細長く伸びたカウンターのみのバー。その名は、「かくれんぼ」。
ママは、ふくよかで大らかな人。カウンターの中には、状況劇場などの女の子が何人かバイトで来ていた。安い店なので、そこそこ客は入っていた。何年間か私も通った。

1967年、鈴木清順の『殺しの烙印』が公開された。
主演は、宍戸錠。エースのジョーである。
当時の日活のエースは、タフガイ・石原裕次郎である。次いで、マイトガイ・小林旭。第3の男は、甘いマスクのトニー・赤木圭一郎であった。しかし、トニー・赤木圭一郎は調布の日活撮影所でゴーカートがぶつかり死ぬ。エースのジョーの出番となった、と宍戸錠自身が後年語っている。
エースのジョーの出番はいい。ハマっている。しかし、問題は作品だ。鈴木清順の『殺しの烙印』である。この作品、ぶっ飛んだ映画なんだから。
時の日活社長・堀久作、カンカンに怒った。「会社の金を使って、こんなワケの解らないものを創りやがって」、と。で、鈴木清順、日活をクビになる。
映画会社、営利事業を行っている。当然のことである。仮に、その時私が日活の社長であったとしたら、私も堀久作と同様のことを発言し、同様の処置を取っていたであろう。映画会社ならば、多くの人に受け入れられ、収益の上がる映画を作らなければならない。疑うことなき真理。自分の好みの映画は、自分の金で撮れ、ってのが、まあまともなところであろう。
それはそう。でも、日活をクビになった鈴木清順はその後、10年近く干され続けた。
その間の鈴木清順を支えたのは、清順の奥さん。大らかな奥さんが新宿歌舞伎町の裏町に開いたバー「かくれんぼ」で。このことに関しては、昨年の春、鈴木清順の「大正浪漫3部作」について記した折に触れたので、改めては記さない。

『殺しの烙印』、1967年、監督:鈴木清順、モノクロ。
主演は、エースのジョー・宍戸錠。
どこかビビって来るんじゃないか。
それよりも脚本だ。具流八郎である。”グルハチロー”、8人がグルになっている。
大和屋竺、田中陽造、山田清一郎、早稲田シナ研(シナリオ研究会)の出が主導している。不条理劇になって当然だ。

殺し屋ランク、ナンバー3の男がある男の護送を引き受ける。確か、500万円で。50年近く前の500万、そこそこの金だろう。引き受けた対象が、それだけの価値のある男だったんだ。それは、大した話じゃない。
護送途中に襲われる。殺し屋ランク、ナンバー2とナンバー4に。殺し屋ランク、ナンバー3の宍戸錠、ナンバー2とナンバー4を殺す。エースのジョー・宍戸錠、ナンバー2となる。
その男、めったやたら飯の炊ける匂いが好きなんだ。パロマのガス炊飯器が何度も出てくる。タイアップしてるんだ。おかしくもあるが、面白くもある。
何がどうしてってことは、何にもならない。
能面のような真理アンヌが出てくる。蝶の死骸の中などで。インドには美人が多い。日印ハーフの真理アンヌ、耐え難いほどの美しさ。
目玉はよくある手法である。ブニュエルとダリの『アンダルシアの犬』しかり。『殺しの烙印』にも出てくる。
白衣を着た男が目玉をドンとやる。取れた目玉を水道で洗う。と、洗面器に血が滴り落ちる。水道管を通ってピストルが発射されている。ピストルの弾が水道管の中を通ってなんて、そんな荒唐無稽なこと、ほんとにアリ、ってお話なんだ。
それがアリなんだ。
シュールだよ。アヴァンギャルドだな。そして、ハードボイルドだど、って作品である。
1967年、フレンチ・ヌーヴェルヴァーグを代表するジャン=リュック・ゴダールの『気狂いピエロ』が公開された年である。ジャン=ポール・ベルモンドとアンナ・カリーナが出た『気狂いピエロ』もブッ飛んだ映画であった。
しかし、そのブッ飛び具合は、ゴダールよりも清順の方がよりブッ飛んでいる。
オープニングとエンディングに流れる「殺しのブルース」がいい。
作詞は具流八郎、8人がグルになって紡ぎ出したのであろう。作曲は楠井景久。歌っているのは、大和屋竺。気怠そうなジャズ調の調べ。
どう言っていいか解らない、という歌である。
     男前の殺し屋は 香水の匂いがした
     「でっかい指輪をはめてるな」
     「安かねえんだ」
     「安心しろ。そいつには当てねえよ」
     曲がったネクタイを気にして死んだ
この何気なさ、この不条理、ブッ飛んでる。