「住み果つる慣らひ」考(7)。

ビートたけしであり北野武でもある男は「天才」と言われるが、果たしていつから天才になったのであろう。
ビートたけし、1994年8月2日の深夜、原チャリで事故を起こし死の淵を彷徨った。
その翌年の平成7年、新潮社から上梓された『たけしの死ぬための生き方』という書がある。それを読むと、おそらく三途の川のごく手前まで行ったこの時に天才になったのではないか、と思えてしようがない。
昨日記した宇野千代や森繁久彌、また、白洲正子や鈴木清順や荒垣秀雄などは、いずれも優れた才能を持った人たちである。しかし、いずれの人も天才とは思えない。
だが、ビートたけし・北野武はどこか違うんだ。ただの才人ではない、という気がする。やはり天才じゃないかな、と。その天才となったターニングポイントが原チャリでの事故だった、と思われるのであるが。
<今まで生きることに対しておいらは大した執着もなくて、いつ死んでもいいなんて言っていた。・・・・・。別に進んで死にたいなんて思っちゃいない。ただ自分に課されてる過剰な重荷からいつ解放されてもいいな、って気持ちはあった>、とたけしは記す。
先月だったであろうか、北野武は自らが創った会社・オフィス北野を辞め独立した。面白いことをするな、やはり常人ではないな、と思っていた。
と、たけし軍団の連中がオフィス北野の社長とドンパチを始めた。「殿」を守る、と言って。何らかの手打ちが行われる模様であるが、「殿」であるたけしは悠然たるもの。ここにもたけしの常人を超越した立ち位置が見てとれる。
それはそれとし、生死の問題に立ち帰る。
<それに準備している奴としない奴と、死ぬことは結果的には同じだけれども、・・・・・。死を考える。死ぬための心の準備をするというのは、生きているということに対する反対の意義なんだけども、異常に重いテーマなんだ>、とたけしは記す。
たけし、死と真正面から向きあう。
あと一か所だけ引き出そう。少し長くなるが、最後だから。
<それで、さあどうだって言われたときに、恐れ入りましたってことになっちゃった。色んな時に死んでもいいように生きてきたって言ってんだけども、とてもそんなことで死んでもいいような人生ではない>、と記し続いて、<しょせん「おまえなんか」って言われたような気がした。まだまだって。「死んでみたような感じがしただろ。で、どう」って言われたとき、「恐れ入りました」って>、とたけしは記す。
天才たけし、「恐れ入りました」ってことで生死の淵から引き返した。
私たちにもできるのかな。