谷中ぶらぶら、雨ポツポツ(8) 旧吉田屋酒店。

ボランティアで谷中霊園案内をしているというオジさんには、さまざまなことを教わった。
徳川慶喜の23〜4人の子の中、ある程度成長したのは10人であったとか、、その何番目の子はどうであったかとか、同じ三つ葉葵の御紋といっても、葉の切れ込みの数が御三家によって違うということとか。御三家でも序列があるんだ。尾張、紀州、そして、慶喜の出身である水戸となるとか。だから、切れ込みの数が幾つとか、事細かに教えていただいたが、その多くは忘れてしまった。
その後、Sさんが吉田屋へ行くと言うと、「私もそっちの方なので」、と言って吉田屋の前までついてきてくれた。
この日は、小雨ではあったが終日雨であった。谷中霊園へ来ている人も、ほとんどいない。ボランティアの案内人のオジさん、私たちのみへの説明行動で、その日のボランティア活動は打上げにしたようである。そのオジさんとは旧吉田屋酒店の前で、お礼を言い別れる。

旧谷中茶屋町の一角にあった吉田屋酒店、江戸時代以来の老舗で、昭和61年(1986年)まで営業していた、という。
翌昭和62年、台東区に寄贈されこの地に移築されたらしい。
現在の建物は、明治43年(1910年)に建てられたもの。関東大震災をも乗り越えてきた建物。”出桁造り”の建物、池の端の「下町風俗資料館」の付属展示場であり、台東区の有形民俗文化財に指定されている。

その店内。
菰樽や磁器樽が並ぶ。

吉田屋と記された磁器瓶も並ぶ。

昭和63年(1988年)、キリンビール100周年を記念して作られた復刻品。左から、明治、大正、昭和。ラベルばかりじゃなく、ビンも復刻したようだ。

左下は、番頭が金の出し入れを記録していた帳場。右の方、階段の上は、住込み店員の部屋だそうだ。

昔の酒店、塩や砂糖も扱っている。
大正浪漫、サクラビールのポスターも。

建物の右手外れの方にこういうものがある。「趣味のかまぼこ板絵」と記されている。

寿司屋の老主人が余技で描いた作品だ。さまざまな谷中風俗を残そうと考えたんだろう。面白い。

帰ろうかという時、外国人の親子づれが入ってきた。
40前後の夫婦に10歳前後の女の子。
「どこからきたんだ」、と声をかけた。「スイスから来た」、と言う。さらに、「下町は面白い」、とも言う。それはそうであろう。日本人でも東京の下町、面白いのだから、スイスの人間にとってはより面白かろう、と思う。
「何日ぐらい日本に来ているのか」、と尋ねる。「半月ほどの予定だ」、と言う。地下鉄かバスに乗って、東京の下町を歩いている親子づれ、せめて半月程度ゆったりと過ごすところに、その心のゆとりがある。
その後、思った。
あの時の親子づれ、子供は10歳前後であった。ということは、小学校の3〜4年。学校はどうしたんだろう、と。
それより彼らにとっての面白い世界である東京下町歩き、学校を半月ぐらい休んでもどうってことない。それより、外国の異次元の世界に身を置くこと、その体験こそ勉強。それこそが人間学習。以前に知ったるスイス人もそのような男であった。スイス、小国ではあるが、とても練れた国である。
今日は、少し側道に入ってきたかもしれない。