京都・花街・舞妓さん。

週一で通う近場の学校の同級生から案内をもらった。ずっと長い間、京都の花街の舞妓さんを撮っている義弟の写真展がある、来ないか、というもの。

「京都・花街の伝統美 溝縁ひろし写真展」。八重洲口からすぐのビルのギャラリー。
溝縁ひろし、40年にわたり、京都祇園の花街の写真を撮っている。

初めの頃は、モノクロ写真だ。
1978年4月発行の溝縁ひろし写真集『祇園舞妓抄』からのモノクロが並ぶ。

「温習会 豊千代さん(1977年10月)」。
<長い歴史を重ねて存在する花街は、長い目で見れば女性たちが通り過ぎていく所といえるでしょう。私が撮影を始める頃芸妓だった豊千代さんは、気品を備えた美しい芸妓さんの一人でした>、と溝縁ひろしは記す。

「大雨の女紅場入り口(1977年4月)」。
<どしゃぶりの中、「都をどり」の楽屋入りする芸妓さん>、と溝縁ひろし。

「稲穂のカンザシ(1974年1月)」。
<祇園で撮影を始めて2年ほど。いつも顔を会わせる舞妓さんに挨拶が出来るようになった頃、稲穂を強調したく魚眼レンズで、頭上から・・・・・>、と溝縁。

「八朔の日 たんぽぽにて(1976年8月)」。
<喫茶「たんぽぽ」のお母さんは生粋の京女。撮影の合間に立ち寄ると・・・・・>、と。

40年近く経った現在の溝縁ひろしの作品。
タイトルは、「年始の挨拶廻り 宮川町(1月5日)」。
<年末年始、ひっそりと静かだった花街。5日を過ぎると各花街では正装した芸妓たちが舞妓さんを連れてお茶屋さんに新年の挨拶をして廻る姿が見られ、・・・・・>、と溝縁ひろしは記す。


「始業式 宮川町(1月7日)」。
<芸・舞妓さんが正装で歌舞練場に集まり、始業式が行なわれます。前年、お花の売上げが多かった人気の芸・舞妓さんが、舞台で表彰されます。心の中で今年の精進を誓う日です>、と溝縁ひろし。

「初寄り 祇園甲部(1月13日)」。
<井上流の舞のお師匠さん宅に挨拶に伺います。お師匠さんからお神酒や雑煮をいただくと、正月気分もここまでです。花街の仕事始めの日>、と溝縁は記す。

京都には、「祇園甲部」、「先斗町」、「宮川町」、「上七軒」、「祇園東」と五つの花街があるそうだ。
私が行った先週土曜日には、宮川町の舞妓さんが来ており、その踊りも披露された。宮川町の舞妓さん二人、2曲舞った。
しかし、前の方に多くの人がいてよくは見えない。写真を撮るため立ち上がる人もいる。よくは見えないが、仕方ない。

いっそ、前の方の連中を切り取ってしまうと、こうだ。舞妓さんの一部のみだが、すっきりする。

舞妓さんが舞った一つは、「月も朧に東山〜ぁ、かすむ〜・・・・・」、「祇園小唄」だ。痺れる。


気の利いた司会者で、「前の方の方は、後ろの方の方のため、場所を少し・・・・・」、と言った。で、少しは多く舞妓さんの姿が見えるようになった。
京都祇園の舞妓、中学を出た後の女の子。舞妓となり、さまざまな技芸を習い、お座敷に出る。
芸者を侍らせての場は、何度もある。しかし、京都祇園のお茶屋で、舞妓や芸妓を侍らせて、ということは、残念ながら一度もない。祇園でのお茶屋遊び、並みの男にはできぬことだよ。
しかし、この二人の舞妓さん、十幾つなんだが、可愛い。
溝縁ひろしが話していた。「舞妓さんの時期は、せいぜい4〜5年」、と。それ以降は、衿替えをし、芸妓になるそうだ。
宮川町から来たこの二人の舞妓さん、名は忘れたが、一人は平成21年、一人は平成22年の店出し(デビュー)だそう。今年、18〜9。舞妓の期間も、あと1〜2年。

舞妓さんの花カンザシ、毎月変わる。今月の花カンザシは、梅だ。これ。


舞妓さんの名刺もあった。
中央左の方に、”祇をん 佳つ乃”の名が見える。
ひと昔かふた昔前、誰しもが認める何人もの色男と浮き名を流した、あの佳つ乃さんであろう。

このきれいな人は、祇園の売れっ子芸妓の一人・多満葉さん。
<平成元年に店出しをし、花街の風俗やしきたりを身に付けて、技芸に精進し続けています。井上流の名取りとしても活躍しています。今回の写真展では・・・・・>、という溝縁ひろしのコメントがある。
平成元年に店出しをし、ということは、今現在幾つであるか、ということも解かる。だが、それにしては、おきれいだ。
それよりも、左の方のものは、”さし紙”というものらしい。
芸・舞妓さんが店出しや衿替えをする時に、その屋形名やお姉さん、本人の名前が書かれた”さし紙”を各家に配るそうだ。花街をあげて門出を祝う気持ちが込められている、ということだそうだ。
尾上菊之助が、舞妓から衿替えの芸妓に贈った”目録”と言われるものもあった。歌舞伎役者と祇園の花街、お互いに付きものなのであろう。
溝縁ひろし、花街の写真集のみならず、花街についての書も多く上梓している。それ故、この展覧会の出展作についての解説もとても細やか。四季折々の行事、また、しきたりのことなどもよく解かる。
”店出し”や”衿替え”、また、”目録”や”さし紙”、その他、京都祇園の花街のことごと、溝縁ひろしによって教わった。
でき得れば、肌と肌との触れあいにより、と考えるが、京都祇園の世界では、我らごく普通の連中には、そうもいかず。仕方ない。

溝縁ひろしの最近の作品、大きく引き伸ばされ、大きな円柱に貼ってあった。