先斗町。

賀茂別雷神社から戻り、駅近くのホテルにチェックイン。暫らくベッドで横になる。
8時前京都タワーに登り、その後四条河原町へ。河原町通と四条が交わるここらあたりが、いわば京都の中心だ。
河原町通を三条の方へ歩き、途中で右の方、鴨川の方へ折れる。細い小川といった趣きの高瀬川を渡り、木屋町通を過ぎる。ここいらの道、みな細いものばかり。
すぐ、これもまた道幅の細い先斗町通に突きあたる。
先斗町、京都五花街のひとつ。

お茶屋さんらしき店もある。あちこちに竹を組んだ犬矢来がある。京都らしい。

どことなく、”らしいな”、という感じがする。
三条から四条へかけての先斗町の通り、石畳である。その道幅、一間あるかなしか、というところ。

高そうだな、という店もある。しかし、そうでもないか、という店も案外ある。もちろん、無職人の私にとっては安くはないが、現役世代にとっては、そう敷居が高い、というわけでもない。
お品書きを表に出している店も多い。フランスと同じだ。中には、3000円前後でひと通りの料理を、というものもある。今のご時世、京料理は特別な料理、そこそこのお代をいただかないと、というだけでは先斗町でもやっていけない。コストパフォーマンスの高い料金設定も必要になる。

この店に入った。赤い暖簾のこの店。京鴨と旬菜の陶板焼きが売りの店である。
表に出ていたお品書きに、とてもコストパフォーマンスの高そうなコースが出てもいた。
階段を上がると、小ぶりな店。
板場の前には、ベンチに座布団を敷いた席が5、6席。奥は座敷になっているいるらしい。英語と中国語と日本語が入り混じった声が聞こえてくる。

お品書き、メニュー、紙に書いたものもあるが、巻き物になったものもあった。巻き物のお品書きは、私には必要ではない。私は、表に出ていたコストパフォーマンスが高い、と思われるコースを頼む。私が頼んだコストパフォーマンスの高いと思われるコースは、こういうものである。
京鴨の肉味噌、南瓜の煮物、京湯葉の炊いたん、などの小鉢が5品。京の地野菜 天麩羅盛り、京鴨の陶板焼き、それに、伏見産ヒノヒカリ白飯、お吸い物、大原産 お漬物、という全10品。それに、今の時期の京都といえば、やはり鱧だな、と思い、鱧ざく(酢の物)を頼む。飲み物はビール。
と、鱧の酢の物は、小鉢に入ってますので、という声が返ってきた。お品書きには、鱧の酢の物は入っていない。板場の男、それが入っている、と言う。
思うに、このジイさん、安いコースを頼んだが、鱧の料理も一品なりとも食いたいらしい。それじゃ、小鉢の一品を鱧ざくに変えてやれ、と思ったに違いない。板場の男、洒落た男じゃないか。

京鴨の陶板焼きは、美味かった。
京鴨も美味いが、そこから滲み出る油が加わるニンジンや葱も美味かった。
そんなことより、これである。8種類の塩が出てきた。
京野菜の天麩羅につけてもいい。京鴨の陶板焼きにつけてもいい。これらの塩をつけて食べた。8種類もの塩が出てくるんだ。
これらの塩、手前左から、京都琴引の塩、次は京都琴引のにがり塩、次は京都琴引の藻塩。そして、蒙古の岩塩。向う側には、北海道宗谷の塩、福井 若狭おばま塩、島根 浜寺の雪塩、そして、兵庫赤穂のあらなみ塩。

ご飯とお吸い物と一緒に出てきたお漬物。
板場の男、大原のものです、と言っていた。

天井の方に、こんなものがあるのに気がついた。
聞くと、エビスさんだ、と言う。大阪ほどではないが、京都にも恵比須神社があるそうだ。エベっさん、商売の神様である。「商売繁盛で笹持ってこい」、そのエベっさんの笹。
その下には、こういう句が貼ってあった。
     鉄鉢の 中に降りこむ 霰かな
山頭火の句だそうである。

店を出た後、先斗町を歩く。四条の方へ向かって。

途中にこんな細い路地がある。
木屋町通の方に向かって。こういう細い道が数十本通っているそうだ。その道幅は、半間、1メートルもない。この数値、先斗町の規準だな。

先斗町、京料理、日本料理の店ばかりじゃない。この写真の先の赤い提灯には、韓国酒肴と書いてある。
先斗町、変幻進化しているんだ。

先斗町、四条通に出たすぐ横には、このような立札がある。
読みづらいが、こういうことが書いてある。先斗町の由来が。

四条通に出た後、鴨川の方へ歩く。
鴨川の岸辺、暗い中、先斗町の納涼床の灯が瞬いていた。