マン・レイと二科。

午後、乃木坂の国立新美術館へ。マン・レイ展観る。

2007年からヨーロッパを巡回していたものが、日本へ回ってきたもの。写真はもちろん、絵画、彫刻、その他諸々のものが来ている。
日本語の副題は、「知られざる創作の秘密」。英語でのサブタイトルは、「無頓着、しかし、無関心でなく」。
写真がやはり面白かった。さまざまなポートレートが。マン・レイ自身のセルフポートレートも含め。宮脇愛子のポートレートもあった。磯崎新と宮脇愛子の夫婦、晩年のマン・レイを、パリのアトリエに何度も訪ねている。宮脇が、マン・レイを描いた作品もあった。モノトーンの半立体、洗練された作品だった。
その磯崎新と宮脇愛子から紹介を受け、マン・レイの死後であるが、マン・レイのアトリエを撮影に行った、篠山紀信の言葉が面白い。「写真家なんて、良い時代に生れなきゃダメなんですよ。・・・・・マン・レイもニューヨークにいて、パリにいて、ロスに行って、又パリでしょ。地球の良いとこ取りじゃないですか。特に、1920年から40年のパリなんて、最高の時代なんだから」、と言っている。
会場の構成、マン・レイが暮らした4つの時代に区切られている。ニューヨーク(1890−1921)、パリ(1921−1940)、ロサンゼルス(1940−1951)、そして、再びのパリ(1951−1976)、に。
篠山紀信が言う通り、特に1921年から40年にかけての最初のパリ時代が凄い。ダダイスト、シュールレアリスト、その他、これでもか、と言わんばかりの人物と出会っている。

パブロ・ピカソ、サルバドール・ダリ、アンドレ・ブルトン、ポール・エリュアール、ジャン・コクトー、ルイス・ブニュエル、レイモン・ラディゲ、T.S.エリオット、ジェイムス・ジョイス。エリック・サティやイゴール・ストラヴィンスキーにも。
もちろん、同じアメリカ人で、パリの女親分であったガートルード・スタインや、その縁でアーネスト・ヘミングウェイとも。ヘミングウェイの小さな息子の写真もあった。
それと同時並行で、あのモンパルナスのキキをはじめ、当時の最先端を行く数々の女性と浮き名を流す。篠山紀信でなくとも羨ましい。
しかし、マン・レイと言えば、何と言ってもマルセル・デュシャンだ。デュシャンとは、ニューヨーク時代からの仲間。デュシャンとのコラボもやっているし、デュシャンの作品の記録も撮っている。これもいい。デュシャンの影響だろう、マン・レイも一時チェスに凝っていたそうだ。
帰宅後探したら、丁度20年前、1990年の9月、セゾン美術館で開かれたマン・レイ展の図録が出てきた。マン・レイ生誕100年記念展、となっている。今回の展示は、マン・レイ財団の所蔵品が中心だが、20年前のマン・レイ展は、世界中あちこちの所蔵品を集めたものだった。
今、見直してみると、総出品点数670余点、大がかりな気合いの入った展覧会だった。セゾン美術館、いい企画展を連発していた。とうの昔に無くなったが、この頃は、まだ西武が勢いのあった頃だった。
その後、同じ国立新美術館で開かれている二科展へ行く。
4時半に、二科の会場の久保寺洋子の作品の前で、学生時代の仲間と待ち合わせをしていたんだ。久保寺洋子、ズーっと二科に出品していて、今、会友。
今年の彼女の作品は、これ。100号の油。

タイトルは、「輪違屋」。その後ろに数字が付いていた。
「アレッ、このタイトル、去年もこうじゃなかったっけ」、と言うと、「そうよ、もう題名は同じにしているの」、とアッケラカンと答える。後ろに数字は付いているが、「輪違屋」というタイトルの久保寺の作品は、今までに3点ほど見ている。
「輪違屋ってのはね、京都の花街、島原のお茶屋さんの名前なの」、と解説してくれる。「あの金色は、金箔を使ってるの」、とも。
今年の輪違屋の太夫の姿、少し淡白になったように感じた。今までの輪違屋の太夫は、もっとドロドロとした感じだったような気がするのだが。ま、洗練されたと言えば、そうなんだろうが、彼女の日常は、ゆったりとしたグランマ生活。だんだんバアさんになった、と言えば、そうでもある。ハハハ、昔のよしみで、許してくれ。

今年の二科展の目玉は、これだそうだ。あちこちニュースでも取り上げられた、という。
工藤静香の作品。タイトルは、「瞳の奥」。やはり、100号の油。
工藤静香、20年前から二科展に出品、入選を重ねてきた、という。可愛らしい女の子が描かれている。おそらく、彼女の娘の姿であろう。キムタクとの合作、とても可愛い。外連味のない、素直で美しい作品だ。
今年、この作品で、特選を取った。来年は、会友となるだろう。

二科展への応募者は、数万人いる、という。日本には、こんなに絵描きや彫刻家がいるのか、と驚くばかり。入選者は、2000人強。それでも、どこに誰の作品があるのか、なんてことは分かりゃしない。五十音順の早見表と、部屋番号案内図をくれるので、知り合いの作品には辿りつけるのだが。
彫刻の部をザッと見た。皆さん、さまざまな作品を創っている。野外展示のところに一点だけ、これ面白いじゃないか、という作品があった。

三宅一樹という人の作品。タイトルは、「YOGA-Mother Ocean」。コンクリートの上に置かれていた。
素材は、木曽檜とアルミニューム。半立体の作品だった。アルミが、海を表わしているのだろう。そこに、下着姿の女性が浮かんでいる。アルミの海の直径は、120センチ。しかし、そこに浮かぶ女性は、高さ、僅か6センチしかない。それが、コンクリートの上に、ピタッという感じで貼りついている。
マン・レイを見た後であるからか、とても面白く感じた。
その後、仲間7人で、近くのやや今風の居酒屋で飲んだ。六本木や乃木坂で飲むことなんて、このところトンとない。いつもの新宿の居酒屋とは、少し違う。何しろ、入ってくるヤツ、若いヤツばかりだった。
話好きのグランマ・久保寺洋子、そこでもよく喋っていたが、ひとつだけ聞きもらした。
江戸時代、元禄の頃から300年以上続き、今でも営業を続けている京都島原のお茶屋・輪違屋で、”あなたは茶屋遊びをしたのか”、ということを。別れた後、フトそう思った。
お嬢さん育ちで、そのままバアさんになったような久保寺、ヒョッとすると、並みの男ではできない島原の茶屋遊びをしているかもしれない。この次会った時に、聞いてみよう。
マン・レイと二科、異質なものだが、共に面白かった。