8月6日。

8時、広島からのNHK中継見る。8時15分、会場に合わせ、黙祷。
時々映るパン・ギムン、何やらひとりごとを言っているように見えた。後の挨拶の確認をしているようだった。駐日米国大使のルースは、終始厳しい表情だった。いずれにしろ、国連事務総長も米国大使も、8月6日の祈念式典への出席は初。半歩か一歩、前進であることには違いない。
エノラ・ゲイの機長の息子が、ルースの式典参列に対し、「これは、暗黙の謝罪じゃないか。オバマは何を考えているんだ」、というようなことを言っているそうだ。直接原爆を投下したエノラ・ゲイの機長の息子でなくても、このように思うアメリカ人は多いだろう。
15年前、終戦50年後の1995年、スミソニアンでの原爆展問題を思いだす。エノラ・ゲイの展示、さらに、広島、長崎の原爆資料館からの資料の展示が計画された。しかし、潰れた。全米在郷軍人会はじめ、”アメリカは正しいことをした”、という声に計画は頓挫した。スミソニアンの館長は、辞任に追いこまれた。
アメリカ人の6〜7割の人は、日本への、広島、長崎への原爆投下は、戦争を終わらせる為には当然のこと、正しいことだと思っている。だから、今日のルース、無言で会場を後にしたというのも肯ける。駐日大使として、ヘタな発言はできない。
その駐日大使初の式典参加を決意したオバマ、いわば、カードゲームで、まず1枚カードを切った段階、と言えよう。1枚表を見せて、相手の、アメリカ国民の反応を見ようということだろう。自国民相手の勝負を仕掛けている段階だ。
秋葉忠利が、今年の広島平和宣言の中で、非核三原則と共に、核の傘からの離脱を政府に求めた。しかし、広島市長としての理想は理解できるが、核の傘からの離脱は、現実的ではない。今現在、アメリカの核の傘からの離脱は、核の自主開発、核保有に繋がるだろう。おそらく、これは間違いない。秋葉の意とは、正反対の方に動くだろう。
究極の核廃絶、時間をかけた、一歩一歩でしか成されない。