ヘンな奴らだ、と思っていたな。

オリバー・ストーンが来日している。
一昨日の広島での平和記念式典にも参加していた。同時通訳のイヤホンを付け、じっと目を瞑っている映像が流れた。明日の長崎での式典にも出、その後沖縄にも行くそうだ。
オリバー・ストーン、ベトナム戦争で戦い、その後、『7月4日に生まれて』を撮っている。7月4日、アメリカの独立記念日。強烈な映像の反戦映画であった。
4月の上旬、NHKBSで「オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史」という番組が流れた。今週から再放送もやっているが、共に夜中の番組。4月もその一部のみしか観ていない。オリバー・ストーン、どうも劇場公開用の映画を考えているのではないか、と思う。
その”オリバー・ストーンのアメリカ史”、日本への原爆投下の回を追ってみる。
何故、アメリカは日本に原爆を落としたのか、ということを考える。
はっきり言って、日本人に対する人種偏見もあった。それ以上に、へんな奴らだ、という思いもあった。特に、時のアメリカ大統領・トルーマン、「ジャップに思い知らせてやる」、という意識が強い男だったようだ。

初の原爆実験。

爆発。
実験は成功した。
原爆実験成功の報は、すぐさまベルリンにいたアメリカ合衆国第33代大統領・ハリー・トルーマンへ報告される。トルーマン、その報を今や遅しと待ち構えていたんだ。
トルーマン、イギリスのチャーチル、ソ連のスターリンとの三巨頭によるポツダム会談の開催を2週間延期していた、という。原爆を切り札に使うため。
それと共にトルーマン、日本をこてんぱんにやっつけることを考えていた。日本人って、へんな奴らなんだから。
元はって言えば、これである。

1945年12月8日、日本の真珠湾攻撃。
私は、ここまで”日本”と書いている。しかし、アメリカの表記は、”ジャップ”。”ジャップがハワイを爆撃”。
しかも、宣戦布告なき奇襲、騙し討ち。
駐米大使館の不手際により、宣戦布告の通達が遅れた。何ということ。今でも私は、胸掻きむしられる思いがある。アメリカが怒るのは当然である。このこと、何度か記したから今は措く。

軍服姿の昭和天皇。

白馬に跨る昭和天皇。
オリバー・ストーンのアメリカ史には、昭和天皇が何度も出てくる。軍服ばかりじゃなく、衣冠束帯姿のものも。
実は、昨日記した映画『ヒロシマナガサキ』には、戦時中のアメリカの映像も幾つか出てくる。
例えばこういうもの。
海軍の兵士を対象とした映像。日本では、天皇は神と崇められており、その天皇は・・・・、というもの。太平洋戦争、アメリカでは昭和天皇・天皇ヒロヒトの戦争という意味づけが主流であったようだ。
また、こういう映像もある。
ジョセフ・グルーの証言である。
「日本は200年は遅れており、欧米社会の価値基準とは全く異なる社会であり、欧米の思考なんて通じない国である」、とジョセフ・グルー言う。
ジョセフ・グルー、1932年から1941年12月まで、約10年に亘り駐日大使を務めた男である。その男にしてこの言葉。
ハリー・トルーマンが、ジャップを、天皇ヒロヒトをやっつけろ、と言っても、そうであろうな、という思い。日本では、消されることが多い映像。

旭日旗、今に繋がっている。
ウーン
1941年12月8日、戦端は開かれた。
翌年4月のミッドウェー海戦、こてんぱんにやられた。その後のガダルカナルの戦い、硫黄島、そして沖縄、日本はやられにやられた。

B29で思い知らせてやる。
東京を空襲する砲弾にはこう書いてある。”何回も、何回も、何回も”と。

6波に及ぶBー29の東京空襲で、51平方マイルが焼き尽くされた。
1945年3月10日のこの東京大空襲、一般市民約10万人が焼け死んだ。

その東京大空襲を実践指揮したのは、この男。カーチス・ルメイ。
タイム誌の表紙を飾っている。憎々しげな顔つきではないか。日本人から見れば。

原爆投下を承認するトルーマンの紙片。
8月2日付け。

広島に赤点が。
原爆の効果をはっきりと分かるように、それまで爆撃を受けていない広島を選んだ、という。

原爆を積み広島へ向かう爆撃機、エノラ・ゲイ。

ターゲットは、元安川にかかる元安橋。

1945年8月6日午前8時15分、原爆は炸裂した。

焼土。

大きな火傷を負った人。

8月15日、玉音放送。

アメリカからみれば、ジャップ降伏。

1958年のテレビ番組でのトルーマン、こう答えている。日本に原爆を落としたことについて。
トルーマン、こう言うんだ。
日本への原爆投下に、良心の呵責はない、と。
天皇を神と崇める日本人、ヘンな奴らである。これほどまでに叩かれて、何故に戦いをやめない。他人の意見などあまり聞かないトルーマン、そう思っていた。
で、1945年8月6日、広島に、8月9日、長崎に、原爆が落とされた。