生きてく苦悩。

今、岩波ホールでは、2本の映画が緊急上映されている。

地下鉄の神保町駅から地上へ上がる階段の所に、こういう看板。

昨日は、リンダ・ホーグランド監督の『ひろしま 石内都・遺されたものたち』について触れた。今日は、スティーヴン・オカザキ監督による『ヒロシマナガサキ WHITE LIGHT/BLACK RAIN』について記す。
この2本、共に上映時間1時間半弱の映画。交互に上映している。そのインターバルが1時間取ってある。これは助かる。その間に、私は白山通りを渡ったすぐ近くの揚子江菜館で、少し遅い昼飯を食った。揚子江菜館、この時期でも供される熱い中国茶が美味い。
スティーヴン・オカザキ、日系3世のアメリカ人。このドキュメンタリーを完成させるまでに25年の歳月をかけている、という。
スティーヴン・オカザキ、14人の被爆者と、4人の原爆投下に関与したアメリカ人の証言を追う。日本で会った被爆者は500人以上であるそうだ。その中で14人の証言を取りあげた。
みな、重い。

当時10歳だった長崎の女性は、自分だけが生き残った時、自殺を考えたという。しかし、生きた。今、こう話す。「体の傷と心の傷、両方の傷を背負いながら生きていく苦しみは、私たちでもう十分です」、と。
爆心地からわずか410メートルで被爆した広島の女性がいる。当時11歳。全校生620人の中、ただ一人だけ生き残った。今、こう語る。「これを伝えていくために生かされているなって、思っています」、と。
当時、広島の陸軍病院の軍医であった肥田さんという人は、被爆後すぐに生存者の治療を始めたそうだ。そして、こう語る。「あっちでもこっちでもどんどん死にはじめるんです。医者がみて、何の病気か分からないんです。誰もが・・・・・」、と。
原爆投下に関わった人たちの証言もある。
1945年8月6日、広島に原爆を投下した爆撃機・エノラ・ゲイの航空士だった男は、こう語る。
「原爆投下は戦争を終わらせる。戦争を短くするための使命だと信じていた」、と。よく知られるアメリカの論理である。時のアメリカ大統領・トルーマン、2発の原爆は米兵25万人の命に相当する、と言っているのだから。当時の米軍の兵士、そう考えていて不思議ではない。
このエノラ・ゲイの元航空士、その後こうも言っている。
「何人かが集まると、必ずバカな奴がいて、こう言う。イラクに原爆落としゃいいんだ、と。核兵器が何なのかまるで分っちゃいない。分かってたら言えないことだ」、と。
全くそう。エノラ・ゲイの元航空士の言う通りである。
ひと月ほど前、アメリカの知性、元国務長官のコリン・パウエルがこう言っていた。
「核兵器は、抑止力としては認めるが、現実には使うことが出来ないものである。不要なものである」、と。
そうである。
昨今、核というと北朝鮮の核が、となる。しかし、金正恩ごときよりは、習近平にこそコリン・パウエルの言葉を学んでもらいたい、と考えている。

このドキュメンタリー映画、冒頭、渋谷の街角で二十前後の若者に、「1945年8月6日は、どんな日だったか知ってますか?」、と問いかける。若い人たち、みな知らない。
この写真の一番上、渋谷で路上ライブをしている顔にペイントした若者も知らない。
この写真の下の男は、『はだしのゲン』の作者・中沢啓治である。
中沢啓治も広島で被爆している。父と兄弟姉妹が死んだ、という。原爆の非道を訴える『はだしのゲン』、今、アメリカ、ロシア、イギリス、韓国など20か国で翻訳出版されている、という。何のかののイランでも。
核というもの、とんでもない苦痛、苦悩を与えるものである。
どうする?