大相撲初場所千秋楽。

私の「大相撲稀勢場所」は4日目で千秋楽となったが、「初場所」は今日が千秋楽。
19歳でモンゴルから来日、以来初土俵から一日も休まず15年間、1151回目の土俵を務めてきた関脇・玉鷲が優勝した。
玉鷲、30を超えてから強くなってきた印象がある。三役に定着したかなと思うと、前頭に落ちるということもあったが、私には「玉鷲は強いぞ」という思いがずっとあった。
だから嬉しい。

今場所、4日目に稀勢の里はこう語って土俵を去った。

元関脇・豪風も引退した。
稀勢の里と異なり豪風は、39歳のお父ちゃん関取であった。40歳の安美錦が惜しんでいたな。

中日8日目、平成最後の天覧相撲であった。
天皇、皇后、結びの一番・白鵬の相撲に拍手をおくる。

そして、退出される。

あちこちへ手を振られる。

いつまでも。
天皇、皇后も、そして国民のすべても、次の時代を考えている。

10日目までの星取。
白鵬は全勝、あと玉鷲のみ勝ちこしている。
白鵬がこのまま突っ走るかと思われた。が、白鵬はその翌日から敗れる。

12日目には玉鷲に敗れる。
玉鷲、白鵬への挑戦14戦目にして初めての勝利を挙げる。

14日目の星取。
白鵬、11日目から3連敗。で、この日から休場。
トップを走るのは玉鷲である。明日勝てば、文句なしの初優勝である。

千秋楽を迎える玉鷲の星取。

遠藤との一戦。

突き落としで破る。
玉鷲、初優勝である。

床山に髷を結い直してもらっている間にも目が潤む。

「涙が止まらないね」、と北の富士さん。

玉鷲、日本相撲協会理事長・八角から賜杯を受け取る。

なお、先場所優勝の貴景勝、昨日までで直近3場所の勝ち星、33勝を挙げている。大関昇進の星は挙げている。が、日本相撲協会審判部長の阿武松は、今日の貴景勝の相撲を見て、大関昇進にはあと一場所見たいと言った。
冷静な判断であろう。

平成最後の年の初場所、最後の時を迎えた。

茂野柰園パフォーマンス(続き)。

双樹亭内では茂野柰園の「吉書」が展示されている。
それらを少し。

右側、

一茶の句。

左上、

これも一茶の句。
一茶の在所、雪が深いんだ。


右は一茶の句。

左は牧水の歌。

共に一茶の句。

このような、

そして、このような。

茂野柰園が「お二人の美人にお出でいただき・・・」、と言っていたのに対し、「おばさんで・・・」、と返していたが、双樹亭に和装はやはり似合う。


キルトの小さなタペストリーに。

左側・・・

   目出度さも
   ちう位也
   おらが春
一茶のこの句、毎年の正月、多くの人がこう思っているのではなかろうか。  

これは・・・

このようなもの。
なお、米元章は中国北宋時代の学者にして書家。「蜀素帖」は約1000年近く前の米元章の行書。
上は、茂野柰園によるその臨書である。

双樹亭おくの間。

「天晴」の掛軸は・・・

枯山水の庭に、パフォーマンスの紙が一枚取り残されていた。

「日々是好日」、樹木希林を思う。

茂野柰園のパフォーマンスは終わったが、一茶双樹記念館を訪れる人がポツリポツリと。

正月6日の昼過ぎ、濃い密度の時間が流れた。

帰り道、このようなものがあった。


メルボルンでのテニス全豪オープン、大坂なおみが優勝した。
昨秋の全米オープンに続いてのグランドスラム2連覇である。
終始大坂なおみがリードしていたが、どちらに転ぶか紙一重、というゲームでもあった。が、大坂が制した。

大坂なおみのチャンピオンシップポイント、1ポイント返されるが、その後決めた。

大坂なおみ、全米に続き全豪オープンも制した。
世界ランキングは1位となる。

その直後の大坂なおみ。

大坂なおみ、顔を覆う。

敗れた後のペトラ・クビトバ。

紙一重であったが。

クビトバの深い緑の瞳、印象に残る。

茂野柰園パフォーマンス。

稀勢の里が引退したり、伊藤が急死したりしたことなどがあり、この「流山子雑録」、前へ進む気力が萎えていた。
が、あとひとつ、6日に行われた茂野柰園のパフォーマンスを記し、年初、年初め、この正月のひとくくりとする。でないと、前へ進めない。


江戸時代の後期、18世紀後半から19世紀初めにかけて、味醂の開発者の一人といわれる五代目秋元三左衛門は、本業の一方、双樹と号して俳句をたしなんでいた。
下総・流山に住まいするその秋元双樹のもとに、小林一茶は生涯に50回以上訪れている。俳友といえばそうではあろうが、まあ、双樹は一茶の谷町・パトロンであったというのが自然であろう。
今、秋元双樹の屋敷、安政期に建築した新座敷と呼ばばれる建物を現在地に曳屋したり、増改築、庭園も整えて「一茶双樹記念館」として公開されている。
記念館である秋元本家、一茶庵、それに双樹亭の3棟の建物がある。
茂野柰園のパフォーマンス、双樹亭と枯山水の庭園を使って催される。

この正月6日の一茶双樹記念館。

本家の「みせ」。
「賀正」、「天晴」の文字は、茂野柰園の手になるもの。

中門をくぐり、双樹亭の方へ。
枯山水の庭内に既に茂野柰園は立っていた。袴姿にピンクの襷がけ。
小柄な茂野柰園、巌流島で宮本武蔵を待つ佐々木小次郎を思わせる。

この右手から入った。

「この着物、20代の頃、自分でミシンで縫ったものです。若い頃の教師時代に着ていました。墨が多少跳ね返ってもいいようにこれを着てきました」、と茂野柰園は語る。

今年の干支に因み・・・

この文字から。

「亥」。篆書体である。

司会の人が気を利かせて言った文字。

平和の和。

観客のリクエストも取りながら進んでいく。

私たち観客。

     餅雪を 
 しら糸となす・・・

       柳哉
芭蕉の句である。

山形生まれの茂野柰園、「餅雪っていうのは、それはもうお餅のように白くて深い雪なんです」、と語る。

書いた書、一茶双樹記念館の係の人が枯山水の上に並べていく。

   正月や
 梅のかほりの
      大吹雪
一茶の句である。

墨書されたものは次々に並べられていく。
そして、希望者に分け与えられる。大きすぎる。私は貰うワケにはいかない。

     山動く 
  兆しのひかり 
      蕗の薹

茂野柰園の催しでは時折り見かける「先生」と呼ばれている人の句。
私も何度か見かけた。いわゆる郷土史家のような人であるらしい。

「龍」というリクエストがあった。

「龍」。

「私は琴をやっているのですが、コトという字をお願いします。「琴」でも「筝」でもかまいません」、という声が飛んだ。
茂野柰園、「筝」の方の字を書きましょうと言ってこれを書いた。

「和して同じず」、という声が飛んだ。
「こういう字だったでしょうか」、と茂野柰園。

こういう画数の少ない字は難しいのです、と語る。

茂野柰園の書のパフォーマンスも終わりに近づく。
双樹亭にはこのような女人も現れた。

が、ここで「おまけ」があった。
双樹亭の縁側に座った茂野柰園、お好みの字を書くという。

私は早速申しこんだ。
「梨花と仁 宝なり」、と書いてもらった。
「梨花と仁」って孫娘と孫坊主の名前である。じじバカ極まれりってものであるが。

朱で落款・印も。

「沙羅双樹」って書いてもらっている人もいた。

今月6日、下総・流山、双樹亭での模様。

伊藤が死んだ。

学生時代の仲間である伊藤が昨日死んだ。
今日夕刻のメールで知った。
伊藤、私より4年ばかり後輩であるが、人さまより4年多く学校に在籍していた私、学生服姿の伊藤を憶えている。喧嘩が強いとの評があった。英語に強いとも。
伊藤、そのようなワケで外資系の出版社へ就職した。20年以上前になるのではと思うが、『アステイオン』というハイブラウな雑誌の編集長となった。時折りその雑誌をもらったが、山崎正和などが登場する知的興味を持つインテレクチュアルな層を対象としていた雑誌であった。
今、検索すると『アステイオン』、サントリー文化財団から発行が続けられている。年2回刊であるが。
伊藤とは同じサークル仲間であった。
実は、そのサークル仲間のグループ展、来月催される。伊藤も出品予定である。12月初め、そのグループ展の打ち合わせが神保町で持たれた。伊藤もいつもと変わらず来ていた。
来月の「早稲田美研60−70展」には、伊藤の作品も出品される。おそらく伊藤の得意なデジタルアートであろう。
私たち、早稲田大学の美術研究会に1960年から1970年の間に属していた仲間、50人ばかりが連絡可能である。その内、20人ばかりが日常付きあっている連中であろうか。その中、この10年の間に伊藤も含め4人が死んだ。私たち、死んでおかしくない年代となっている。
伊藤、昨年末腹が痛くなり、今年初め入院したとのこと。膵臓がんだったそうだ。
好漢・伊藤、死んだ。私も、との思いあり。

大相撲稀勢場所千秋楽。

大相撲稀勢場所、今日、千秋楽を迎えた。
午前中、師匠の田子ノ浦が稀勢の里の引退を伝えた。午後、稀勢の里の引退会見があるとも。

NHKの中継の途中、その30分ほど前に行われた稀勢の里の引退会見の模様が流された。速報として。

こうも語るが・・・

こうも語る。
土俵人生、一片の悔いもない、と。


稀勢の里、綱取りには何度も失敗していた。力はあるのだが、ここぞという一番に弱い。日本人横綱(この言葉もいつの頃からか、日本出身横綱という言葉になっていった)の誕生を日本中すべての国民が待ち望んでいた。
朝青龍以降白鵬、日馬富士、鶴竜、モンゴル勢に席巻されている横綱の座を何としても稀勢の里で、という思いが日本国民のコンセンサスとなっていった。日本国民ばかりじゃなく、日本相撲協会自体も稀勢の里には甘くなった。何とか稀勢の里を横綱に、と。
実は、それを秘かにというか、強力に推し進めていたのは、日本相撲協会理事長の八角であった。
八角、暗黙の了解事項である大関で2場所連続優勝、乃至はそれに準じるという事項を稀勢の里を横綱にするため印象操作を行う。稀勢の里に限っては、ひと場所でも優勝すれば横綱への昇進が叶う、という雰囲気を作った。日本国民は当然のこと、それに乗った。稀勢の里には甘やかしているな、と思う相撲ファンは多くいたが、それが角界の流れであった。
で、19年ぶりに日本出身横綱が誕生した。根っからの稀勢の里ファンである私も、少し甘いなとは思いながらも、喜んだ。


この言葉は今場所前の状態を述べたもの。

「けがとの闘い」についてこの後の稀勢の里、口をつぐんでしまう。、

そして、しきりに涙を拭う。
「けがとの闘い」、苦しかったに違いない。だが、稀勢の里はそれに耐えに耐えてきたんだ、ということが私には伝わる。
思わず知らず、ケンさん・高倉健を思いだした。理不尽な仕打ちに耐えに耐えてきたケンさんが白鞘の刀をひっさげ相手方へ乗りこむ、という高倉健のやくざ映画を。

ストイックな美を。




稀勢の里、逡巡の果てに、勝利に固執する闘いの場に身を置くことを選んだんだ。
しかし、その思いは通じなかった。

会見の最後、稀勢の里は「力士として幸せでした」、と語る。
[
今から思えば、横綱昇進後のこの大阪での3月場所だった。
優勝はしたが、計り知れない傷を負った。

今日の正面解説の北の富士さん(相変わらずダンディーだな)、この3月場所の後、大阪から新幹線に乗ったら、あちこちから「おめでとうございます」と声をかけられたそうだ。
北の富士、この何年か前から「稀勢の里を横綱にする会」の会長についていた。まあ、大したものではなく、勝手連であったが。、

稀勢の里の最も思いに残る一番は、一昨年、平成29年1月場所、14日目に初優勝を決めた翌日の白鵬との一番だそうだ。この一番、白鵬に攻められ、攻められたが逆転勝利を納めた一番であった。
なお、白鵬の稀勢の里との思いに残る一番は、2010年11月場所の2日目、当時平幕であった稀勢の里に敗れた一番だという。この一番、白鵬の」64連勝がかかっていた。白鵬、相撲の神様・双葉山の69連勝にひたひたと迫っていた。それを、平幕の稀勢の里が阻止した。

稀勢の里、横綱に上がってからは大けがの影響でこのような成績。歴代横綱のワーストである。

今日の琴奨菊である。
琴奨菊、大関から落ちて何年にもなる。前頭上位で相撲を取っている。
稀勢の里と琴奨菊、恐らく最も対戦が多い取組みではなかったか。
「キセとショウギク」であった。懐かしい。
この後、田子ノ浦部屋の近所の寿司屋へ今場所の1週間ほど前、稀勢の里と琴奨菊、それに豊ノ島の3人が来たという映像が流れた。豊ノ島と琴奨菊は稀勢の里より3つ年上であるが、中学を出た後入門した稀勢の里と同期なんだ。
横綱となった稀勢の里、大関からは落ちたが、幕内に留まる琴奨菊、対して豊ノ島は今は十両へ復帰したが、それ以前は幕下生活を続けてきた男。
稀勢の里に琴奨菊、それに豊ノ島という映像に、涙がジワッと沸いてきた。彼らの結びつきに。

稀勢の里、さしあたりは年寄り荒磯を襲名、親方修行を続ける。

大相撲初場所は続くが、私の「大相撲稀勢場所」は千秋楽となった。

大相撲稀勢場所三日目。

大相撲稀勢場所もまだ三日目であるが、ヒョッとすると今日までとなるかもしれない。
稀勢の里、今日も負けちゃった。今日のNHK解説の舞の海、「稀勢の里は、どう相撲を取ったらいいのか分からなくなっているのでは」、と語っている。
下半身が安定を欠くのは事実であるが、それ以上に心の安定を欠いているように見える。今の稀勢の里なら、横綱、大関、三役はもとより、前頭上位の力士、誰と当たっても勝てないのではないか、とさえ思えてくる。

今日 、花道の奥で出を待つ稀勢の里。
ビシッとしたところが感じられない。

土俵下、控えに入った稀勢の里。

稀勢の里後援会の100人に近い大応援団が明日、牛久から来るそうだが、それに先駆け今日もオレンジの法被を着た人が駆けつけている。牛久から。

稀勢の里と栃煌山の一番。
両者共に連敗をしているが、栃煌山はかっての大関候補、実力者である。あぶないなーと思っていたら、やはりそうなった。

立ち合い、稀勢の里ぶつかっていったが・・・

簡単に両差しを許してしまい・・・

寄り切られる。

稀勢、天を仰ぐ。

その直後の稀勢の里の背中。張りがない。
それよりもである。
稀勢の里の背中の後ろに見える、周りの人たちの顔を見ていただきたい。
大きく口を開け何かを叫んでいる人。呆然といった顔つきの人。手を合わせている人。この人たちばかりじゃなく、国技館の観客すべてと言ってもいい人たちが、稀勢の里が勝つことを祈っているんだ。テレビの前の人たちの大部分もそうであったろう。
誰であったか、いつか「稀勢の里って不思議な横綱ですね。こんなに負け続けても皆から愛される横綱なんて、今までいなかったですものね」、と言っていた。確かにそうだ。「強すぎて憎たらしい」、と言われた北の湖と対極の横綱であるな、と改めて思う。

負け残りの土俵下の稀勢の里。
結びの一番を待たなければならない。

稀勢の里、何を考えていたのか。
今までの土俵人生を反芻していたのかな、とも思うが。

花道の奥、支度部屋の前には10数人のカメラマンが脚立に乗って、稀勢の里が戻ってくるのを待っている。この時の稀勢の里の表情が、明日のスポーツ紙の一面トップに大きく載せられるのであろう。

稀勢の里、花道を戻ってくる。後ろに結びの一番で錦木に敗れた鶴竜も見える。

今日の上位陣の星取。
豪栄道、栃ノ心は3連敗、高安は1勝2敗、鶴竜も1勝2敗。横綱、大関の内、3連勝は白鵬のみ。荒れる春場所にはひと場所早いのだが。
ところで、ここに名のある豪栄道、妙義龍、栃煌山は稀勢の里と同じく昭和61年度生まれの「花のロクイチ組」である。「花のロクイチ組」にはさらに宝富士、碧山、魁聖、勢もいる。
力士の当たり年である昭和61年度生まれの「花のロキイチ組」、稀勢の里が先頭を突っ走ってきた。その稀勢の里が今、引退の岐路に立たされている。後がない横綱になったからである。稀勢の里、横綱でなければまだまだ長く力士を続けられたのであるが。
大卒が普通になった大相撲の世界で、中学を出てすぐ大相撲の世界に飛びこんだ萩原少年、横綱・稀勢の里となった。それが今、引退の岐路に立っている。
負けてもいい、15日間土俵にあがれ、という意見もある。しかし、それは酷である。
今夜、稀勢の里は田子ノ浦部屋へ入り、1時間半後に出てきたそうだ。おそらく師匠との話し合いが持たれたのではなかろうか。明日、土俵にあがるかどうか、と。
稀勢の里の明日の相手は、今日鶴竜を破った錦木である。今の稀勢の里では、金星配給となる公算が高い。
稀勢の里、ここでもうスパッと引退した方がいい。稀勢にとっては残念であろうが。
思えば、すべては2年前の春場所にある。優勝はしたが、それの代償は大きかった。大胸筋を痛めた。それが完治しない内に場所へ出た。
この判断ミスが尾を引いた。出ては休み、出ては休みを繰り返した。
田子ノ浦の師匠共々メンタル面、「心技体」の「心」の領域に不安を感じていた。それが、現実となった。
この「大相撲稀勢場所」も、明日はどうなるか。


今日、東京地裁はカルロス・ゴーンの保釈を認めなかった。証拠隠滅の恐れがあるから、と。勾留延長、長期化の模様となった。
しかし、日本の司法制度、海外メディアの視線は厳しい。日産という一企業の問題を越えて、日本対欧米世界という様相を呈してきている。


JOC会長の竹田恒和が記者会見した。
東京オリンピック・パラリンピック招致に関し、フランス当局から起訴されるや否や、捜査されている贈賄疑惑に関し。
何ともヒドイ記者会見であった。わずか7分、質問は受けつけず竹田恒和は退場した。海外メディアも出ている。悪い印象が欧米に拡散されるであろう。
JOC会長・竹田恒和自身、起訴される恐れ大であろう。


それよりも、ドナルド・トランプがNATOを離脱する意向、ということには驚いた。
アメリカがNATOから離脱するなんて、と。トランプ、何考えているんだ。世界は、トランプにあおられている。
が、去年、フランスのマクロンがヨーロッパ軍の創設に言及していたのを思いだした。
対ロシアばかりじゃなく、対アメリカともマクロンは言っていた。アメリカからの攻撃にも備える必要がある、とマクロンは言う。
そんなことをやっていると、喜ぶのは中華帝国を目指す中国だけなんじゃないか、という思いが沸きあがる。

大相撲稀勢場所二日目。

今日午後、市の図書館へ行っていた。夕刻、帰ろうと思っていた。帰って相撲中継を見ようと。が、帰らなかった。
実は図書館から家までは歩いて7、8分であるが、図書館から電車の駅までは歩いて4、5分。駅の方が近い。駅から電車で10分ばかりで、さまざまな店がある繁華な街へ出る。飲み屋も多い。だから時折り、家には帰らず駅の方へ行くことがある。
今日も駅の方へ行った。相撲中継をかけている居酒屋もあるので。
5時前に居酒屋へ入ったが、相撲中継の見えるカウンター席は満席。じいさん連中、酒を飲みながらテレビを見ている。私の席からではテレビは見えない。仕方ない。稀勢の里の一番だけを見ようと思い、スマホのスポーツナビで土俵の進行状況をチェックしながら飲んでいた。
北勝富士が豪栄道を下し、いよいよ稀勢の里と逸ノ城の一番となった。
私は席を立ちテレビが見えるところへ移動した。テレビが見えるところといっても、その前に陣取るじいさん連中の後ろから、じいさんとじいさんの間、その隙間からテレビを見る。それでも上の方は切れている。
まあ、それでよし、である。

時間いっぱいである。

蹲踞。

なかなか呼吸が合わず。

仕切り直しは4度を数えた。
仕切り直しの度、私は、稀勢に負担となっていくなと思っていた。ボヨーンとした逸ノ城よりも、繊細な稀勢の里の方に影響が出るだろう、と。
そうなった。
この後の稀勢の里、逸ノ城に敗れた。

敗れた後の稀勢の里、土俵に手をつき暫らく動かない。

このように。
稀勢の里の脳裏には、何が去来しているか。

逸ノ城、大関、横綱撃破の2連勝。

花道を下がる稀勢の里。
剣ヶ峰。確かに後がない。

報道陣が支度部屋へ。

高安は勝ったが、栃ノ心、豪栄道の両大関は2連敗。そして、横綱・稀勢の里も2連敗。
この後、白鵬は勝ったが、鶴竜は敗れた。混戦ではあるが、終わってみれば優勝は白鵬となっているのではなかろうか。

画面ではリプレイ映像が流れている。
そこに黄色い言葉が重なる。敗れた後の稀勢の里を花道で追いかけたアナウンサーの言葉が。

リプレイ映像の稀勢の里、素人目にも、腰、下半身が安定していない。


テレビに一番近いカウンターに座っていたじいさん、この後、「ウウワー」と大きな声で叫んで席を立ち、帰っていった。

稀勢の里の今の状況、もちろん稀勢の里自身の問題もあるが、「日本人横綱、日本人横綱」と言ってきた日本人全体にも責任はある。「心技体」、この内特に「心」の分野に不安がある稀勢の里を横綱とした日本人すべてに。
稀勢の里を「悲劇の横綱」とするであろう責任が。
少し早いが、そう思う。