生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり。

3日前、信州に住む義弟が死んだ。
私の連れあいの妹の亭主である。知り合ったのは40年近く前、結婚の遅かった私が結婚する前後、10ばかり年下の彼は既に結婚し、子供もいた。
長野県は精密機器関係の会社が多いところで、彼もそのような会社に勤めていたエンジニアであった。アジアやヨーロッパの主に発展途上国へ売りこんだ機器のメンテナンスや修理に、あちこち行っていたようである。
私とは真逆の美男子であったが、はにかんだような笑顔が印象に残る男であった。気が優しいって男、私は好きなヤツだった。
ただ、酒が好きな男であった。肝臓をやられた。3人の子供たちも、それぞれ巣立った。孫も授かった。で、60歳でリタイアした。が、その後は、酒と肝臓のせめぎあいとなったようだ。
通夜に出ることはある。葬儀、告別式に出ることもある。しかし、都会地ではその一部に出ているにすぎない。今回、そう思った。
昨日の枕経から通夜、納棺の儀。喪主である義妹が数珠を故人の手に、3人の子供たちが三角布を頭に、さらに手甲、脚絆をつけ、草鞋、編み笠、杖と白装束に整える。それぞれのヒモを結ばないのはどうしてか。三途の川を渡る時云々とか、四十九日まで云々とか、葬儀社の係員が説明してくれる。
今日は出棺の儀から始まった。
故人を家から運び出し、火葬、告別式、葬儀と続いた。義弟は60代前半。まだ若かった。遺骨も多かった。義妹や子供たち、幾重にもお骨を拾っていた。
葬儀でのお坊さんの装束は、派手やかなものであった。義弟の菩提寺、曹洞宗のお寺さんだそうだ。禅宗である。
二日間に亙る葬送の儀、最後は「お斎」である。
派手やかな衣から墨染めの衣に着替えたお坊さん、お斎の前にこういう法話を話した。「生を明らめ死を明らむるは・・・・・」、と。
そのお坊さんに、先ほどの言葉は、どういうことなんでしょう、と訊いた。そのお坊さん、紙に書いてくれた。
「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり、・・・・・」、と。曹洞宗の開祖・道元禅師の言葉である、という。
いわば葬儀後の会食である「お斎」、お坊さまは出ている料理に少し手をつけると退席するのが決まりであるようだ。今日もそうであった。そのお坊さん、退席する時、私に小さな冊子を手渡してくれた。曹洞宗宗務庁発行の小冊子。
その目次にこうある。
「開経偈」、「三帰礼文」、「魔訶般若波羅蜜多心経」、「舎利礼文」、そして、「修証義」。
修証義第一章 総序。
「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり、生死の中に仏あれば生死なし、但生死即ち涅槃と心得て、生死として厭うべきもなく、涅槃として欣うべきもなし、・・・・・」。
義弟の魂も今頃はそこらあたりで漂っているのであろうが、心優しい男、優しい輪廻転生を果たしているに違いない。