小田原城(続き×2)。

昨日のブログ、最後のクリックをミスし、打ちこんだ文章が一瞬で消えてしまった。先ほどまでほぼ1日の間。
打ちこんだものが消えた場合、以前は再び打ちこんだりしていたが、今はもうそういうことはしない。その内出てくるだろうし、かりに出てこなくてもかまわない。それはそれである、と。
常盤木門SAMURAI館を出た後はいよいよ小田原城の本丸、天守閣へ。

葦簀張りの小屋が並ぶ本丸広場から、小田原城の天守閣を見る。

小田原城、三層の天守である。
三層の展望台には多くの人が。

少し読みづらいな。
ディスプレイが広げられるお方は、広げてお読みください。
そうでないPCのお方のため、天守再建の概略を。
元禄16年(1703) 大地震で天守倒壊、焼失。宝永2年(1705) 再建。明治3年(1870) 廃城、解体。昭和35年(1960) 鉄筋コンクリート造で復興。そして今年 耐震改修、リニューアル。

石垣の上の三層の天守。
中へ入る。

全国「天守」高さ比べTOP10、という表示がある。
1番は、大阪城天守 41.5m、2番は、名古屋城天守 36.1m、3番は、島原城天守 33.0mであり、小田原城の天守は、27.3mで7番目だそうだ。

慶長度天守、寛永度天守、宝永度天守、江戸時代に天守が2度も復興されたのは、小田原城だけだそうだ。

ところで一昨日、「小田原所縁のこの人物は誰でしょう、お解かりか」、という小田原城歴史見聞館での展示を記した。
その答えが天守閣にある。この男、二宮尊徳(二宮金次郎)である。二宮金次郎が小田原の人であることなど知らなかった。
いや、それよりもである。二宮金次郎を知っているなんて言うのは、今や、年寄りばかりではないか。若い連中、知るわけないよね、ということに思い至った。

天守閣トップ、三層の展望台へ出る。
西の方、箱根方向を見る。

南の方、伊豆半島の方も。

天守の中、階段を下りる。
甲冑、胴丸具足が見える。

戦国期のものであろう。

さまざまな調度品も。

天守閣から出る。
秋の陽は短い。
天守には既に灯が入っている。

石垣の上の白壁の天守、灯が入り、浮いているよう。

暗くなっても観光客の皆さん、案外来る。

私は、帰る。
常盤木門で写真を撮っているふたり連れがいる。

小田原城、本丸の方から二の丸の方へ。
灯がともる。

JRの駅の方へ。
振りかえり、隅櫓、馬出門の方を見る。


日本時間今日未明、ノーベル賞の授賞式が行われた。
白いヒゲで、いつにもなく親しみを持っている医学生理学賞受賞の大隅良典教授、嬉しそうであった。研究者の道を断念、ご亭主を支えた奥さんも。
「先約があるから」、と授賞式には欠席した文学賞のボブ・ディラン、やけにかしこまった挨拶を送ってきた。アメリカのスウェーデン駐在大使が代読した。
ボブ・ディラン、こう語る。
「・・・・・、パール・バック、アルベール・カミュ、アーネスト・ヘミングウェイ、・・・・・、そのような方々の仲間入りを果たしたとは、本当に言葉もありません」とか、さらに「シェークスピア・・・・・」とか、と記し、最後に「私は、自分の曲は文学なのか、と問いかけることはこれまでありませんでした」、と記す。
とても正直な胸の内の吐露であろう。
授賞式への欠席、アルフレッド・ノーベルも了解、許すよ。