素心伝心(続き×2)。


藝大のクローン技術、法隆寺の金堂やバーミヤン東大仏の天井壁画ばかりでなく、どんなものでも再現してしまう。下世話な言葉を使えば、「手当たり次第何でもござれ」状況である。

こうとしか撮れず、読みづらいが。
ミャンマーのバガン遺跡、タジキスタンのペンジケント遺跡のクローンもあったが、高句麗古墳群、キジル石窟、そてに敦煌莫高窟第57窟のクローンを駆け足で。

高句麗の古墳壁画、高松塚やキトラ古墳の兄貴分。
四神が鮮やか。

玄武。

白虎。

青龍。

朱雀。


キジル石窟ばかりじゃなく、ほとんどすべての石窟寺院の壁画は、欧米列強の探検隊による被害を受けている。学術調査、研究というお題目の下で。
たしか、一時の中国では、「強盗」という言葉を使っていた。

ドイツばかりじゃない。イギリス、フランス、ロシア、スウェーデン、アメリカ、そしてささやかながら日本もその仲間に入った。


敦煌の莫高窟は4世紀から約1000年の間に穿たれた仏教遺跡、洞窟寺院である。
約1000年の間に穿たれた洞窟寺院は、約600。敦煌郊外、鳴沙山の山腹の崖に穿たれている。
第57窟は小ぶりな窟であるが、著名なよく知られている窟である。57窟の内部の模様は、多くの写真で広く知られるので、皆、57窟を見たような感覚になっている。私も、そうである。
丁度20年前、1998年の5月の連休に敦煌へ行った。莫高窟へは2日間通った。そのころでも公開されている窟は限られていた。一般公開されている窟の他に、特別料金を払うと見ることができる、という窟もあった。その当時の中国の経済情勢ということもあったもの、と思われる。2日間通い、もちろん特別料金の窟へも入った。
しかし、その時、第57窟へも入ったかどうかは覚えていない。第57窟の模様はよく知っているのであるが。写真や文献などで知り、見たような感覚になっているのかもしれない。

藝大のクローン技術で再現された敦煌莫高窟第57窟も、とても美しい。
以下、その一部を。











この人も莫高窟に行った気になっているのでは。


今日の横審、出ては休みの稀勢の里に対し厳しい意見が出たようだ。
稀勢の里に対しては、横審も含め、相撲協会、日本国民すべてが甘やかしてきたが、ついに横審、いつまでも甘やかしているわけにはいかない、ということになったのであろう。
稀勢の里、どうも他人の言うことを聞かないようだ。「稀勢、意固地になるな」と私は記したが、私の忠告など稀勢の里には届かない。届いても聞かない。同年代の栃ノ心は周りの人すべてに感謝をし、なによりとても素直であるのに。稀勢も自分の殻に閉じこもらないでいてもらいたい。
まず成すべきは、3月場所・春場所は全休し5月場所に期す、という心になることであろう。