科博の犬。

東博へは時折り行くが、科博へはまあ行かない。同じ国立博物館であり、隣通しといってもいいような立地でもあるのに。
半年以上前になるが、久しぶりで科博へ入った。音声ガイドを借りて聴きながら展示を見ていたが、疲れてしまった。何度もイスに座り座り、という状態であった。そのイスも東博のイスに較べて固い。座り心地は東博の方がずっといい。数も少ない。
何より、勉強をしているというような気持になる、というところがよくない。だから、気が重くなる。
泥臭い、というよりもドン臭い。洒落てない。
何やらいきなり、科博の悪口のようなことを書きだしてしまったが、先日、東博の帰りに寄ってみた。科博にも犬がいるだろうと思い。

いた。

「いぬ・戌年のお正月」となっている。
「科博・干支シリーズ2018」とも謳っているので、毎年この時季、その年の干支に因んだ動物を展示しているのであろう。

犬、元々はオオカミから今の数多くの犬種が作りだされた。
人間の欲望のままに、無理に無理を重ねて作りだされたものもある。品種改良でなく改悪、というものも。

右から、ボルゾイ、アイリッシュ・ウルフハウンド、ジャーマン・シェパードドッグ。猟犬だ。

反対側から見る。
右から、セグロジャッカル、コヨーテ、そして、真ん中のこれは単に「オオカミ」となっていた気がするが、確としない、次はタテガミオオカミ、左端は不明。
野生、という言葉がよぎる。ワイルドな面々。

科博らしい。

右から、タヌキ、ミニチュアダックスフンド、柴(シバ)。

頭骨の比較。
犬と人間のつき合いは長い。その長い時間の中で、人間はさまざまな犬を作りだしてきた。人間が望む犬を。だから、さまざまな頭骨が生じた。
頭骨ばかりじゃなく、犬にとっては厳しい状態に作りだされたものもあろう。
一昨年の春先に急死した我が家の犬も、そのような犬種のひとつであった。フレンチブルドッグ、特異な犬種ブルドッグを室内で飼える愛玩犬として小型化したもの。無理があった。先天的に気管支が弱かった。すべては人間の気ままから、といっていい。

人間がなしたもの。

上段は左から、セントバーナード、ドーベルマン、ボルゾイ。下段は左から、ブルドッグ、柴、ペキニーズの頭骨。

こういう一画も。

左、イヌザンショウ(犬山椒)、右、イヌヒゲ(犬髭)。

ビクターのマークだ。
蓄音機のラッパの前に犬がいる。フォックステリアのニッパーだ。今でもいるのかな。

「犬走り」なんて知らなかった。
今さら知ってどうなるものではないが、科博、勉強になる。勉強、好きってワケでもないが、嫌いってことでもない。科博、ごく稀には寄ってみるのもいいかもしれない。