ヨコトリ2017(7) 接続しているか。

2001年に始まり今年第6回となるヨコハマトリエンナーレ、そのテーマは「島と星座とガラパゴス」。どうしてなんだろう。
どういうことか。
地球は、そして世界はグローバル化の流れにあったのに、1年前、ある男が世界の表舞台に飛び出し、「○○ファースト」と叫びまくってから地球はバラバラな島になり、どこか空中に飛んで行ってしまい、ガラパゴス化してきた、ということを言っているんじゃないかな、今回のヨコトリのディレクターたちは、と私は勝手に考えている。
ポピュリズムが蔓延する中での「接続と孤立」というあとひとつのテーマは、どうか。
接続していたものもバラバラになりつつある。日本時間昨日未明に行われた国連総会を見ても明らかである。
トランプ政権が下した「エルサレムをイスラエルの首都」の撤回を求める国連決議、アメリカとイスラエルが反対するのは解る。当然だ。
が、マーシャル諸島、ミクロネシア、ナウル、パラオといった国の名を反対票の中に見るのは哀しい。また、棄権35か国、欠席21か国に中南米やアフリカ、アジア、東欧などのいわば小さな国の名が多く見られるのも寂しい。
トランプの恫喝、札束で横っ面を張られての棄権、欠席であったであろうから。
接続性は薄れている。孤立化は進んでいる。
ヨコトリ、赤レンガ倉庫1号館2階の突き当たりの部屋に、「接続と孤立」を感じさせる作品があった。
「孤」であるが「孤立」していない。「接続」している。

暗い部屋に入る。
9面のスクリーンがある。そのそれぞれでさまざまな楽器が奏でられている。

この人の場合はアコーデオン。

こういう作品である。
作家のラグナル・キャルタンソン、ヨーロッパの辺境・アイスランドの首都・レイキャヴィーク生まれでレイキャヴィーク在住の男だそうである。
タイトルは≪訪問者たち≫。
「訪問者たち」って。ま、何となしに解かる。

ここ・・・
左のスクリーンは・・・

チェロを弾く女性。

右のスクリーンでは、大勢の人が邸宅のバルコンで音を聴いている。

このスクリーンでは・・・

ピアノを弾いている人。
皆さんヘッドフォンをつけている。

この真ん中のスクリーンに近寄る。

ベッドに腰かけた男がギターを弾いている。後ろのベッドには女が眠っている。

ドラマー。
ドラマー、ひとりでドラムを叩いているが、ヘッドフォンで他者と繋がっている。

接続されている。

作家のラグナル・キャルタンソン、音楽家でもあるそうだ。
全編を通じ、得も言えぬハーモニーの歌声が流れる。
その歌声、繋がる。接続する。

赤レンガ倉庫1号館の窓から外を見る。
すぐそこ、横浜港の一部である水面が見える。

窓から見えるこの先は、山下公園や中華街の方角。
左端に見える細長いものは横浜マリンタワーである。

この後、中華街へ。
後期高齢者に入ったり、間もなく入るじいさんばあさん。

中華街を出た後、山下公園の近くここで地下へ下りる。

みなとみらい線の日本大通り駅、モスクワの地下鉄の駅のよう。


ヨコトリ2017、これで終わる。
次回のヨコトリ、3年後。
次も来たいが、おそらくそれは難しかろう。