湖北・長浜逍遥(5) 安藤家。

大通寺を出た後ホテルへ戻り、暫らくベッドでひっくり返っていた。3時半すぎ、長浜の旧家・安藤家へ行く。
長浜は地方都市と言えばそうではあるが、小さな町でもある。ホテルから室町時代以来の旧家・安藤家まで歩いて5分ばかり。

安藤家、現在の建物は、明治38年に建設されたもの。

こういう説明板がある。

入口を入る。

明治以降の安藤家、呉服問屋として事業を展開したそうだ。

母屋に入ってすぐ、表通りに面して小さいが味な庭がある。

母屋の周りに縁側が回る。

このような説明書きがある。
長浜の旦那衆、北大路魯山人のパトロンになっていたらしい。魯山人、長浜に4年もいた、という。
安藤家にはその痕跡が多い。

呉服問屋の安藤家からの依頼で、9尺の一枚板に魯山人が「呉服」の字を彫った篆刻看板。
「呉」は亀、「服」は鶴を表わしているそうだ。店の繁栄を願って。
なお、安藤家、賤ヶ岳合戦(1583年)で秀吉に協力し、その後秀吉から、長浜の自治を委ねる「十人衆」に選ばれ、江戸期にはその中から選ばれる「三年寄」となっていた、という。

安藤家、「古翠園」と名づけた庭を持っている。
「古翠園」、もちろん琵琶湖の「湖水」にかけて名づけられたもの。
少し見づらいが、左の違い棚の下には・・・

これがある。
やはり魯山人による篆刻看板・「清閑」。力強い。

母屋と渡り廊下でつながっている離れがある。
書聖・王羲之の「蘭亭曲水の序」の「蘭亭」にあやかって、「小蘭亭」と名づけられている。魯山人、好き勝手に創作の手を加えている。

渡り廊下の床。何て言えば。
マーブルのよう。もちろん、木である。にくい。

この小欄亭の儚げな欄干も。

この扉を開けて小欄亭の中へ。
ここから先はカメラは許されていない。で、説明板を複写する。

襖に描かれたベンガラ色の雷模様、なんてシック。

杉の一枚板に描かれた「壽」の文字をフューチャーした天井絵、とてもオッシャレ。

ところで長浜は、庭園文化が花開いた地でもある。
小堀遠州以下、このような人たちが出ている。辻宗範は、国友鉄砲の里資料館でも触れた粋人。

安藤家の庭園・「古翠園」は、布施宇吉の手になるもの。

名人の作庭に・・・

見えるかな。

2階から。

北国街道を曳山博物館の方へ。
それにしても人がいないな。ウィークデーではあるのだが。