ふたたびのホテル観世。

3時すぎ桂春院を出た。雨脚は強くなった。
折りたたみ傘をさしているものの、それでは到底防ぎきれない。広い妙心寺の境内を抜けるころには、ずぶ濡れになってしまった。
五條烏丸のホテルへ戻り、預けていたリュックを受けとり着替えをした後京都駅へ。駅で少し休み、駅弁とビールそれに京都新聞を求め新幹線のホームへ。この日は袋井へ行く。

6時前のひかりで浜松まで。
どのあたりであったろうか、窓の外、霞か靄がかかっていた。

7月4日付け京都新聞朝刊に、このような記事がある。
西本願寺の唐門に関し皇室との・・・、との話。京都新聞である。
その横の記事を取りだすと・・・

これである。若い尼さんのお話。
ライブで歌う尼さんは結構だが、「愛$菩薩」の芸名はやはり問題ありだな。ドルを愛すなんて。アイドル尼さん、「愛取菩薩」、愛をゲットする菩薩じゃまずかったのか。
いずれにしろ、京都新聞だ。

タカタに関する記事がある。
何でタカタが、と思った。
タカタ、滋賀県が創業の地であるそうだ。
京都新聞、ブロック紙ではない。しかし、準ブロック、滋賀県も京都新聞のテリトリーなんだ。

浜松でひかりを降り、在来線に乗り換え袋井へ。
駅から近いホテル観世へ入ったのは、7時半すぎ8時前。
暗闇に浮かぶHOTEL KANZE、この雰囲気、何とも言えず。まさか袋井なんて小さな地方都市のホテルに1年も経たずに再び訪れるなんて、思ってもいなかった。
昨年秋、樂土の森芸術祭へ行った折り、袋井のこのホテルに泊まった。
ホテル観世、暫らく行っていないが以前はずいぶん行ったインドのホテルを想起した。で、その模様を「袋井のインド宿」というタイトルでこのブログに記した。オーナーであろうと睨んだ、私によく似た不思議な衣装の男のことも。そのことをホテル観世へメールで知らせた。暫らくした後、封書が届いた。
雄渾な筆致の3枚に亘る書簡。オーナーであろう、と私が睨んだその男からのものであった。
若い頃アルゼンチンにいて、24歳から27歳にかけて南米を皮切りに北米、ヨーロッパ、アジアと3年余、一人旅をしていた、という。インドには行っていないが、私が「インドを感じる」とおっしゃったことにも喜びを覚える、と記されている。
だから、また行きたいな「袋井のインド宿」と思いながら、そんな時がくるのかな、と思っていたのが正直なところ。それが1年も経たずに来た。
和紙の作家・河瀬和世のインスタレーションが、袋井の寺で催される。で、袋井へ、ホテル観世へとなった。

翌朝、食堂へ降りていった。
遅い時間だったので、お客は誰もいない。食堂は昨年秋と同じよう。

外のパティオも同じ佇まい。

このバラの花は、まだドライにはなっていない。
昨年秋にはなかった。新しいもの。

これはどうか。
昨年秋にもあったような気もするが。

この落書きは昨年秋の記憶にない。あったのかなかったのか。
いずれにしろ、ホテル観世のオーナー、その手紙の中でこう言っている。
<西洋人にはオリエントを、東洋人には異国を感じて戴ける雰囲気を・・・>、と。
それがどうあれ、私にとっては「ふたたびのホテル観世」である。