マンチェスター・バイ・ザ・シー。

心が優しいから哀しいんだ。優しい心であればあるほど哀しさが増すんだ。そういうことがある。
ボストン郊外で配管工と便利屋を兼ねたような仕事をしている男がいる。名はリーという中年男。酒場では、気に食わない男には喧嘩を売るし、色目を使ってくる女は無視する。心を閉ざした男である。いわば世間との繋がりを断ち切っている。陰気な男である。
ある時、そのリーに電話がかかってくる。兄貴のジョーが倒れた、との知らせである。ジョーは漁師であったが心臓に問題を抱えていた。リーはボストンから車で1時間半ほどの町、マンチェスター・バイ・ザ・シーへ車を飛ばす。が、リーが着いた時には既にジョーは死んでいた。

昨日記した『ムーンライト』は、譬えようもないほどの作品である。そして今日の『マンチェスター・バイ・ザ・シー』は、心に染みいる作品である。
脚本・監督はケネス・ロナーガン。リーに扮したケイシー・アフレックが今年のアカデミー賞主演男優賞を取った。
実は、マット・デイモンがプロデューサーに名を連ねている。そういえば昨日の『ムーンライト』のエグゼクティブ・プロデューサーはブラッド・ピットである。ハリウッドのスターたち、莫大なギャラをこれはって作品につぎこんでいる。
それはともあれ、本作はマット・デイモン自身が監督、主演すると考えていた、という。それがスケジュールの都合でケネス・ロナーガンとケイシー・アフレックとなったそうだ。
マンチェスター・バイ・ザ・シーの病院で兄貴の遺体と対面したリー。弁護士から兄貴の息子、つまり甥っ子である高校生のパトリックの後見人を託されている、と知らされるリー。
甥のパトリックがまだ小さな頃、兄貴のジョーとパトリック、それにリーとで小さな兄貴の漁船で海を走ったこと。リーにも小さな子供が3人いたこと。行ったり来たり映像は流れる。
リーは、マンチェスター・バイ・ザ・シーに帰ってきたくなかったんだ。
何故か。なにゆえリーは心を閉ざした男になったのか。

『マンチェスター・バイ・ザ・シー』、初めはイギリスのマンチェスターの労働者階級の物語かと思っていた。それにしては不自然なところがあるな、と。
ボストンにしろその近郊のマンチェスター・バイ・ザ・シーにしろ、マサチューセッツ州である。
マサチューセッツといえば、ボストンのハーバードにMIT、小澤征爾のボストン交響楽団、古くは岡倉天心のボストン美術館である。インテレクチュアルな土地、民主党の金城湯池。
マンチェスター・バイ・ザ・シーもそのようなハイブラウな人たちの別荘地であるそうだ。が、そのような人たちを支える労働者もいる。『マンチェスター・バイ・ザ・シー』に出てくる人たちである。

リーと死んだ兄貴の子、甥っ子のパトリック。
高校生のパトリック、バンドをやっているし、セックスフレンドもいる。2人も。二股かけている。予備軍の女の子までいる。アメリカの高校生である。
リーとパトリック、叔父と甥、ぶつかりあい、思いあう。
心が優しいんだ。優しい心であるから哀しいんだ。

リーと別れた女房がばったり会う。マンチェスター・バイ・ザ・シーの町で。
別れたふたり。が、優しく、それ故に哀しい。