ムーンライト。

2月末の今年のアカデミー賞授賞式の模様、ライブでは見ていないが、その後何度も流された作品賞発表の模様は見ている。よくできたドラマであった。
最初、大本命の『ラ・ラ・ランド』と発表された。『ラ・ラ・ランド』のプロデューサーが受章の挨拶を行なった。さらに続けて、となったところで間違いだってことが分かった。
作品賞は『ラ・ラ・ランド』ではなく、『ムーンライト』である、と。
双方のチームが入れ替わった。双方とも、なかなかスマートな対応であった。さすがハリウッドと思った。が、それよりも作品賞のプレゼンターに驚いた。フェイ・ダナウェイとウォーレン・ビーティであったから。
ボニーとクライドだ。50年前になる。『俺たちに明日はない』にはシビれた。その公開50年を記念してのフェイ・ダナウェイとウォーレン・ビーティであったようだ。往年のアメリカンギャルと優男も、さすが年には抗えないが懐かしかった。
それはそれとして・・・

『ラ・ラ・ランド』も面白い作品である。よくできた作品である。しかし、作品賞となるとこれはもう『ムーンライト』に叶わない。

『ムーンライト』、譬えようもない作品である。
何に譬えようか、思いつかない。
その映像表現、凄い。久しぶりに「映画芸術」という言葉を思いだした。
さまざまなアイデンティティを思わせる。
人種(出てくる人は、すべてアフロアメリカンである)、環境(ドラッグが当たり前の世界)、年齢(幼少期、少年期、青年期)、LGBT(主人公はどうもゲイ、性的マイノリティーの問題)、さまざまな場でのアイデンティティを考えさせられる。
さらに『ムーンライト』、その映像表現、驚くほど美しい。音、音楽も凄い。まさに総合芸術である映画の究極を指し示している。
不思議な映画でもある。

監督は、バリー・ジェンキンス。『ラ・ラ・ランド』の監督も若いが、『ムーンライト』の監督、バリー・ジェンキンスも今年37歳、若い才能である。
主人公の名は、シャロン。
そのシャロンの子供時代、ティーンエイジャー時代、そして成人した時代、その3つの時代が繋がる。3人の役者によって。

子供時代のシャロン。
この色調も何ともいえない。
いじめられっ子であるシャロンをドラッグの売人であるフアンが助け、庇う。

フアン、シャロンにこう言う。
「自分の道は自分で決めろよ。周りに決めさせるな」、と。
自らのアイデンティティを自ら確立しろ、と。
フアンに扮したマハーシャラ・アリ、この作品でアカデミー賞助演男優賞を取った。圧倒的な存在感がある演技であった。

今日、今、NHKBS1では「サンデルの白熱教室 トランプ派vs反トランプ派 両陣営の大激論」をやっている。ラストベルトの工場労働者や主婦などが白熱の議論を戦わせている。アメリカだ。
そして、ラストベルト同様ドラッグにまみれた町も、またアメリカだ。

この作品の素晴らしさは、作品を見るより他にない。
第三者の言葉なんて、何の力も持たない。

元々の戯曲のタイトルは、”In Moonlight Black Boys Look Blue”。
黒い肌が青く輝く。
美しい。


北朝鮮がミサイルを発射したそうだ。
高度2000キロに達するミサイルということで北朝鮮の技術は進んでいる、という声が多い。だったらどうするの。
若いアメリカのドラッグの売人は、自らのアイデンティティを考えているよ。北朝鮮の若い刈り上げ頭の若者はどうなんだろう。自らのアイデンティティを考えているのかな。
生きることを望むのか、それとも死につながる美というアイデンティティを見いだし得るのか、と。


今日、大相撲5月場所初日。

稀勢の里、横綱土俵入りは堂々たるもの。

が、結びの一番では、嘉風に攻められる。嘉風におっつけられ左が差せない。
稀勢の里贔屓の解説の北の富士、稀勢の里の賜杯返還の時から心配していた。賜杯の持ち方がおかしい、と。また、嘉風は動きが速いから、と。

北の富士が心配していた通りの結果となった。
稀勢の里、初日で敗れる。
「あと14日もあるのだから」、と北の富士、稀勢の里の今場所の行方心配で仕方ない。
私もそう。

5月場所初日、結び近くの星取り。

それとは別に、私の贔屓力士・豊響が久しぶりに幕内に戻ってきた。
初日、勝った。

あとひとりの贔屓力士・御嶽海も勝った。横綱・鶴竜に。
豊響にしろ御嶽海にしろ、現在の角界で醜男番付上位を争う力士である。私はこのような醜男のブルファイターが好きなんだ。

初日、皇太子と雅子さまが来ていた。
間もなく皇后となられる雅子さま、お元気なご様子であった。