時間。

昨日は参った。
夕刻近く、腹がおかしくなった。痛くなった。が、それはともかく急激に危うくなった。急いでトイレに駆け込んだ。ひどい下痢。やっとのことで一区切りがつきトイレを出た。間もなく気持ち悪くなった。苦しい。これは上からも出る。洗面所に駆け込み吐いた。
暫らくすると、また下の方が危うくなった。トイレに駆け込んだ。水溶状のものがこれでもかと出る。一段落すると、また上の方が苦しくなり、気持ち悪くなった。洗面所でまた吐いた。
下から上から3度くり返した。家でのことで助かった。
思い当たる原因はある。昨日の前々日の夕飯はすき焼き(我が家ではたまにしか出ないが)であった。鍋一杯に作るので、じじばば二人では食べきれない。、いつも翌日や翌々日に残り物を食べる。それはいいのだが、3日前のものは豆腐、肉、白菜、葱、春菊などに較べシラタキが多かった。当然のことながら、昨日、私が食べた残り物もシラタキが多く残ったものだった。
味のしみたシラタキは美味い。しかし、いくら噛んでも私の消化器には重かったのであろう。で、消化できなかったものと思われる。
26年前、早期の胃がんで胃を切った。医者は2/3と言っていたが、その後の胃カメラの映像を見ているとズンドーになっているので、3/4ぐらいを切除したのであろう。再発していないので、医者の判断には感謝している。しかし、それ以来、消化器には大きなハンデを負っている。
手術後の5、6年は、消化の悪いものを食べたり飲み過ぎたりした時には、年に2、3度、胃が固まったり、逆に上下からとめどなく出たり、ということがあった。しかし、ここ10年ばかりは、あまりひどい状態には至らなかった。昨日の状況、久しぶりであった。
今月中旬、1年毎の人間ドッグを受ける。今年は脳のMRIも申しこんでいる。そろそろ、いずこかの内臓、あるいは心臓や脳に何らかの不具合が見つかっても不思議ではない。
間もなく来月には76歳。時間ということを考える。
昨日、トイレと洗面所を行ったり来たりした後、寒くなった。身体が震えた。ホットカーペットの上で毛布を掛け横たわった。暫らく寝こんだ。目が覚めると、身体はふらついた。時間ということが頭をよぎった。
残り時間、という概念はあまりにもベタである。しかし、有限時間、ということはそう不自然ではないのでは、とも。
時間の概念、そのおかれた状況により異なる。
実は今月下旬、今の私にとっては大きな行事を計画している。それも時間と関係がある。あれこれ考え、おそらく最後の機会である、と。
時間、時空には、無限はあり得ない。有限である。「ゆれ」という言葉を思い出す。
時間のゆれ、ゆれる時間を考える。