シン・ゴジラ 現実対虚構。

去年の秋ぐらいの頃であるが、映画を観てるっていうヤツなら「シン・ゴジラ」を観ないことには話にならないってことが言われていた。
オリンピックがあったりパラリンピックがあったりで暫らく触れていなかった映画のことを、暫らく続けようと思っている。
で、昨年の映画というと、まずはその「シン・ゴジラ」から入らざるを得ない。

丁度半年前に封切られた「シン・ゴジラ」、そのキャッチコピーは「現実対虚構」。「現実」には「ニッポン」と、「虚構」には「ゴジラ」とルビがふられている。
日本国とゴジラが対峙する。日本国、ゴジラに打ち勝つ。端折りを端折って言えば、そういうお話である。
だから、単細胞には、「日本、やるじゃん」とも思える。また、街並みをバンバン破壊するゴジラに破壊幻影を覚える、とも言える。いずれもカタルシスを覚える、単細胞には。
しかし、どうもそうはいかないんだ。ややこしいんだ。先日発表されたキネマ旬報の昨年の日本映画ベスト10の第2位にランクされたのも、どうもそこにある。
そもそも「シン・ゴジラ」の「シン」って何なんだ。「シン・ゴジラ」の「シン」は、「新」であり、「真」であり、「神」である、と言われている。で、私もそれ以外の「シン」を考えた。思い浮かんだのは「深」。シン・ゴジラ、相模湾の深いところから出てくる。それもあるが、巨大不明生物と呼ばれるシン・ゴジラと日本国との死闘、深いんだ。
緊急時の日本国、総理大臣官邸内に設けられる緊急対策室、警察、消防、さらに自衛隊、オール・ジャパンでシン・ゴジラに立ち向かう。
私は何十年ぶりでゴジラを見た。そもそもゴジラって、原爆だか水爆だかの実験によって出てきたものじゃなかったか。
その原爆から原発への思考転換は、3.11後の日本人にとっては容易い。巨大不明生物であるゴジラに対する官邸内や自衛隊の行動、おそらくさもありなん、と思わせる。

監督、准監督がいて、脚本・総監督に庵野秀明がいる。
現在修復休館中の東京都現代美術館は、立地にやや難があるということもあり、いつ行っても入館者が少ない。が、アニメとマンガを催す時には、驚くべき人が押し寄せる。
4年少し前であったろうか、「館長庵野秀明特撮博物館」という催しがあった。私は別の企画展を観に行ったのであるが、「館長庵野秀明特撮博物館」の方には多くの人が並んでいた。美術館外まで。チケットを求めるまで40分、会場へ入るまではさらに120分待ちとの看板があった。
庵野秀明の人気、凄かった。<エヴァの原点は、ウルトラマンと巨神兵>、という惹句もあった。
エヴァンゲリオンという」名称は知ってはいた。しかし、それが誰であり、どのようなものであるのかは知らなかった。そのエヴァンゲリオンもシン・ゴジラに関係している模様。
私には知らないことばかり。時代に置いていかれているな、とここでも思う。仕方ないか、との思いを合わせつつ。

ゴジラ、相模湾へ姿を現し鎌倉へ上陸する。その次ぎには、東京湾から現代の防人たちを。
ゴジラ、東京湾へ上陸時には、身長118.5mとなっている。大きな赤ん坊だ。

「シン・ゴジラ」、自衛隊ばかりか米軍も出動する。
しかしそれも2016年まで。就任ほぼ一週間で13の大統領令に署名し、オバマのレジェンド施策を全否定、メキシコともドンパチに突入しているアメリカ・ファーストのトランプならば、それもどうなるかは分からない。
おそらく「お前、いくら出す」、とのディーリングになるであろう。
やな時代となったものである。




そのような中、今日、明治神宮で稀勢の里の奉納土俵入りが行われた。また、トランプの口直し。
昨日だったろうか綱打ちの映像が流れた。ニ所一門の力士が紅白の鉢巻きをまき綱を打っていた。中に琴奨菊の姿もあった。来場所、大関から陥落する琴奨菊、ふっきれた笑顔を見せていた。
稀勢の里、琴奨菊のことを生涯忘れるな。相撲人生のライバルとして遇してくれ、との思いしきり。
稀勢の里、それは間違いないであろう。