クラーナハ展。

暫らく前の上野、

闇の中に、クラーナハ展の看板が浮かんでいる。

構内への入口にもクラ−ナハ。
クラーナハ、ねー。昔はたしかクラナッハと呼んでいたように思うのだが、いつの間にかクラーナハになったらしい。
しかし、今回の特別展に関わった国立西洋美術館の学芸員は、「芸術新潮」の中で、「西洋美術館では以前からクラーナハと呼んでいる」、と語っている。見つけた20年ちょっと前訪れた折りに求めたウィーン美術史美術館の日本語版の図録では、クラナッハとなっているが。まあ、こういうことはよくあることである。
それはともあれ国立西洋美術館、ウィーンの美術史美術館と提携関係にあるそうだ。それでこれほどの特別展が成されたのであろう。日本初の大がかりなクラーナハ展、と謳っている。
ウィーンは小ぶりな町だが、ハプスブルク家が築いた神聖ローマ帝国の都、文化度がべらぼうに高い。美術史美術館もヨーロッパを代表する美術館である。行けば、驚く。

クラーナハ、北方ルネサンスを代表する画家である。ボス、ブリューゲル、デューラーなどの巨人と並び。
が、クラーナハは他の巨人たちとは趣を異にする。他の巨人たちが北方のどっしりとした土地に根づいた作品であるのに対し、その妖しさで人を引きつけてきた。妖しい、妖しさこそがクラーナハだ。
クラーナハ、1505年ごろウィーンからザクセン公国の中心地・ヴィッテンベルクへ移り、画業を開始した、と説明にある。ザクセン公国の宮廷画家となったそうだ。
ウィッテンベルクには、神学者であるマルティン・ルターもいた。クラーナハとルター深く交わる。クラーナハ、ルターの肖像を多く描いている。

ルカス・クラーナハ≪マルティン・ルター≫。
1517年、マルティン・ルターはローマ教皇の腐敗を批判する文書・「95ヶ条の論題」を発表、ルターの「宗教改革」が始まる。来年は、それから500年という年になる。

≪子どもたちを祝福するキリスト≫。

≪不釣り合いなカップル≫。
女の誘惑によって男が破滅する、という物語があるそうだ。しかし、この場合はジジイと若い女の物語。どちらがどうか、いかようにもとれる。
「私、ウィーンへ取材に行きました」、という阿川佐和子が音声ガイドのスペシャルナビゲーターをしていて、この作品について語っていたが、たいしたことはない。飛行機代がもったいないよ、というものであった。
音声ガイドには、ウィーン美術史美術館総館長の挨拶も入っている。これはよかった。真摯な語り口で。
なお、ウィーン美術史美術館の総館長といえば、今、公開されている映画・「グレート・ミュージアム ハプスブルク家からの招待状」にも出てくる女性。ウィーン美術史美術館を訪れた大英博物館の館長を露払いのように使っていた。

≪ルクレティア≫。
古い物語である。貞淑な女・ルクレティアが、今まさに短刀でわが身を刺そうとしている。当然のことワケがある。時間のおありのお方は、お調べください。

≪正義の寓意≫。
これも古いお話に基づいている。が、これぞクラーナハである。
クラーナハ、詩人や学者と交わりながら、ヴィーナス、ディアナ、ルクレティアといった古代のヒロインたちの裸を描いている。これぞクラーナハ。
ところで、多くのアーティストがクラーナハの影響をうけている。ピカソ、岸田劉生、森村泰昌のクラーナハに影響を受けた作品も展示されている。レイラ・パズーキなる作家の作品が面白かった。
クラーナハの≪正義の寓意≫の模写を、中国の複製画の生産地の絵描き100人に描かせる。それをまとめる。さまざまな「正義の寓意」がタテヨコに並ぶ。

≪ヴィーナス≫。
腰が微妙にくびれている。これこそがクラナッハ。
なお、クラナッハの描く裸体、裸ではない。すべてヴェールを纏っている。限りなく薄いヴェールではあるが。

≪泉のニンフ≫。

≪ホロフェルネスの首を持つユディト≫。
国立西洋美術館の前に浮かんでいた作品である。
ホロフェルネスは遥か昔のアッシリアの将軍である。ユディトはユダヤの女である。
ユディト、ホロフェルネスの寝首を掻いた。
当然のことながら、ワケはある。中東の地、遥か昔からややこしいんだ。

クラーナハが描くユディトの目。
<冷たい視線が惑わせる>、とパンフの惹句にある。


ところで、気がつけば大晦日。
展覧会がらみ、3か月以上続けていた。幾つか積み残しもあるが、ひとまずこれで打ち切り来年は何か別のことでも、と思っている。
それより、年賀状を忘れていた。明日あたり、何か作るとしよう。