ゴッホとゴーギャン展。

マネ、モネ、ドガ、ルノワール、セザンヌ、・・・、・・・、誰もが知る印象派のビッグネームがこれでもか、というぐらい並んでいるオルセーで、最も多くの人だかりをしているのは、ゴッホの作品が展示されている部屋である。いつ行ってもそう。
ずいぶん昔、カトマンドゥの国立博物館で修復作業をしている若い男に会った。その男、食うためにこの仕事をしているが絵を描いている、と言う。「絵描きじゃ誰が好きなんだ?」と訊いた。返ってきた答えは、「ゴッホが好き」。
さらに遥か昔、日本の中学生や高校生の好きな絵描きは、ゴッホが一番であった。今でもそうじゃないのかな、おそらく。
アムステルダムに国立ゴッホ美術館がある。9年前に行った。ゴッホの作品を数多く所蔵している。手紙や浮世絵も数多く。世界中からゴッホ好きが来ていた。
フィンセント・ファン・ゴッホ、世界規模で「あなたの好きな画家は誰ですか?」、という調査をすれば最も多くの票を集めるのではないか、と思われる絵描きである。

上野、「ゴッホとゴーギャン展」の看板が立つ。

東京都美術館の窓。
ゴッホの顔が光ってしまう。

いつもと同じ企画展の入口。ゴッホとゴーギャン。
ゴッホとゴーギャン、1887年の年末にパリで出会っている。
翌1882年2月、ゴッホはパリから南仏アルルへ移る。同年10月23日、ゴーギャンはゴッホの誘いに応じてアルルへ。2人の共同生活が始まる。

ゴッホ≪自画像≫。1887年。

ゴーギャン≪自画像≫。1885年。

ゴッホ≪収穫≫。1888年6月、アルルでの作。

ゴーギャン≪ブドウの収穫、人間の悲惨≫。1888年11月、アルルでの作。
ゴーギャン、アルルの風景にアルルへ来る前にいたブルターニュの女を描く。なおのこと、前面の女はさらに以前見たペルーのミイラを摸している。
この絵については、ゴーギャンは「今年描いた最高の絵画だ」、と友人宛の手紙に記し、ゴッホも弟・テオへの手紙で凄い作品、と記している。
実は私、ゴッホよりもゴーギャンが好きなのだが、この作品などその凄さを感じる。

ゴッホ≪ジョセフ・ルーランの肖像≫。1889年作。

ゴーギャン≪タヒチの3人≫。1899年、二度目のタヒチ滞在時の作。

ゴッホ≪ゴーギャンの椅子≫。1888年11月、アルルでの作。
ゴッホ、アルルでのゴーギャンをこう描いた。
ゴッホとゴーギャン、その共同生活、互いに刺激を受けていた。だが、強烈な個性の二人である。ぶつかり合うことも多かった。二人の共同生活はわずか2か月で破綻した。
1888年12月23日、ゴッホは自ら耳を切り落とす。
翌日駆けつけた弟のテオは病院へ兄を見舞った後、ゴーギャンを連れてパリへ帰る。
それ以降、ゴッホとゴーギャンが会うことはなかった。が、1890年7月29日、ゴッホが自らの命を絶つまで手紙による交流は続いていた、と言う。

ゴーギャン≪肘掛け椅子のひまわり≫。
ゴッホの死から11年後の1901年の作。
タヒチ滞在中のゴーギャン、ヨーロッパからひまわりの種を取り寄せ開花したその花を、肘掛け椅子に置き描いた。明らかにゴッホへの想いである。

ゴッホ、日本の浮世絵に惹かれていた。坊主頭の自画像まである。
アムステルダムのゴッホ美術館には、その浮世絵の収集品が約500点ある。
この1888年3月にアルルで描かれた≪グラスに生けた花咲くアーモンドの小枝≫も、その色彩や構図、浮世絵の影響を受けている、と音声ガイドでも特に取りあげられていた。
上の写真は、9年前のアムステルダム、ゴッホ美術館のパンフの表紙にヒューチャーされたこの作品。