さいたまトリエンナーレ(9) 次回はありや。

さいたまトリエンナーレ、今年が第1回である。はっきり言って周知されていない。
私は3日間行ったが、どこも来ている人は少なかった。最寄駅には簡易案内所を設けていた。武蔵浦和にも岩槻にも大宮にも。各会場には人も配している。しかし、来る人が少ないので、熱気が感じられない。祭りだワッショイ、といったような熱気が。
さいたま市はそこそこのコストを投じているであろう。が、市民の関心が低いと、税金の無駄遣いという声も上がってくる。市長は、さいたまトリエンナーレは3年後も続ける、と言っているようだ。しかし、市民はどう反応するか。
私は、次回はありや、さいたまトリエンナーレ、継続されるか否や、半々ぐらいじゃないかと心配している。
さいトリ3度目は今月初めに、残っていた大宮、浦和、そして与野へ行った。
大宮タカシマヤ・ローズギャラリーでの展示も、大宮区役所での映像演劇なるものも面白くなかった。むしろ大宮区役所地下の、今は使われていない大きな食堂の厨房が面白かった。大宮区役所、昔の大宮市役所である。その食堂の厨房、ハンパじゃない大きさ。それが朽ち果てたような姿になっている。廃墟の歴史遺産といった趣き。これはよかった。
浦和の展示も、これもなー、というものであった。

うらわ美術館の一画にこういうコーナーがある。

こういうもの。

おそらく、さいたま市でトリエンナーレというものを考えた時、さいたま市というものを打ち出すものがあってもいいんじゃないか、いやあるべきだ、というような議論が交わされたのではないか、ということが推測される。
アート云々はそれとして。
アートはアートとしても、まずは「さいたま」だ、と。

海のない埼玉、ベイエリアにはこだわる。

日本全国の道府県、どうのこうのと言っても、東京との距離感には常にこだわっている。
隣接県である埼玉においては、その思い・・・。東京は埼玉でもっている、とでも言っているのかな。



浦和の目抜き通りに、「さいたまアートステーション」というものがある。

窓の外から。

中へ入る。

上段左に、JACSHAミニワークショップ&フォーラムシリーズとあり、「JACSHA式土俵入り」とか、「相撲道と作曲道」といった文字が見える。
JACSHAはもちろん3日前に記したあのJACSHA。

今回のさいトリの目玉のひとつ、この赤い花を見て打上げとしよう。



与野へ。
彩の国さいたま芸術劇場へ向かう。既に暗くなっていた。
彩の国さいたま芸術劇場へ入り、赤い花の在り処を訊く。

この先にある。
あった。

チェ・ジョンファ≪息をする花≫。

赤い花、蓮の花である。
布でできている赤い蓮の花、息をしている。花びらが上がったり下がったりしている。息をしているんだ。

花びら、下がっている。動くんだ。

また、戻る。
赤い蓮の花を堪能する。

チェ・ジョンファの作品があとひとつある。
上の方。

チェ・ジョンファ、パワフルなアーティストである。

チェ・ジョンファ≪ハッピーハッピー≫。

≪ハッピーハッピー≫。

このような一画があった。
彩の国さいたま芸術劇場、蜷川幸雄の劇場であった。今年5月に死してから半年以上となるのに、彩の国さいたま芸術劇場の中には、蜷川幸雄が生きていた。

帰途振りかえると、彩の国さいたま芸術劇場の上には上弦の月が。
常の如く最寄駅の居酒屋で少し飲み、少し食い帰る。
3日間通ったさいたまトリエンナーレ、これにて打上げとする。