さいたまトリエンナーレ(6) 相撲は好きだが、JACSHAは知らなかった。

日本人にとっての「相撲」というものは不思議なもので、男女を問わずあまり「相撲」が嫌いだ、という人はいない。
程度の差はあれ、多くの人は好きである。
思うに、単なるスポーツではないからじゃないか。伝統文化であり、伝統芸能であり、神事という要素も含んでいるからであろう。
リタイアした後、本場所へ行くことはなくなり(このこと、現役の時は招待を受けていたということである。年に1、2度、東京での場所の折りに。升席、このような使われ方が多かったと思われるが、これも相撲だ)、もっぱらテレビ桟敷であるが、テレビで見ても面白い。今年は、ここ一番で弱い稀勢の里に振り回されていたが。
私はごく普通の相撲好きだが、世の中には相撲のことなら何でも知っている、という人もいる。しかし、そのような人でもJACSHAのことを知る人は少なかったのではないか。
JACSHA、Japan Association of Composers for Sumo Hearing Artsの頭文字をつなげた略称である。

私は、当然のこと知らなかった。

読みづらいが、日本相撲聞芸術作曲家協議会による≪相撲聞芸術研究所≫である。

ドアノブの上には、「いらっしゃい ノック不要 だよ」、という紙が貼ってある。

入る。
土俵がある。

こちら側を見る。

黒板には、「一番太鼓のリズム」とか、音譜の横に「心の四股音」といった言葉が見てとれる。
聖↔俗 行き来の文字も。
JACSHA、3人の作曲家によるユニットである。2008年に結成されている。
鶴見幸代、野村誠、樅山智子の相撲好きの3人の作曲家によって。
いずれも4、50代の作曲家である。

黒板には、<靴を脱いで、どうぞご自由に土俵入り下さい>、としるされる。
左の方には、相撲甚句かぞえうた。
<・・・・・、はぁ〜 ものの始めを1(イチ)と言う、車に積むのを2(荷)という、女の大役3(産)という、子どもの小便4(シー)という、・・・、・・・>、このようにして相撲甚句かぞえうたは続いていく。
黒板の上の「ストニコ」が何なのか。「ストニコ」、「SUTONICO」と綴ることまでは分かったが、如何なる意味を持つのかは解らなかった。

その左。

地下足袋、一升瓶、大きな盃、土俵を築く必需品である。
JACSHAの歩みは、読めない。

JACSHAの3人の化粧まわしである。
下に小さく出ている写真は、その化粧まわしをつけたJACSHAの作曲家3人だ。
ところでJACSHAの3人の作曲家、このようなバックグラウンドを持つ。
鶴見幸代は東京藝大作曲科卒、野村誠は京大理学部卒(作曲は理知的なもの、理系出身の者、まま見られる)の作曲家、樅山智子はスタンフォード大で作曲と文化心理を二重専攻、後、オランダのハーグ王立音楽院で学んでいる。皆さん、スーパーエリート。

ふれ太鼓。
作曲家ユニットであるふれ太鼓、さすが多くの音の出るものが付けられている。

テッポウ厳禁。
これは地方場所の控室などにも貼ってある。

土俵入りをしている写真もある。

「三番太鼓」、「腰割」、「ぶつかり」は、「つるみ」となっているので、鶴見幸代の作品であろう。「がぶりはプロセス」は、樅山智子であろう。「自分の土俵でいいんだよ」は野村誠。
ンッ、「ちゃんこ」は昨日記した小沢剛。参加作家に「相撲について一筆」、と言ったのであろう。

JACSHAの夢。
上の方に相撲聞芸術大学設立とあり、中央にはオペラ「双葉山」の作曲、さらには相撲コンチェルト、例として「呼出し協奏曲」とか「相撲甚句協奏曲」、いずれもオーケストラがらみの大作。

以上、相撲聞芸術研究室。
不思議な場であった。