さいたまトリエンナーレ(4) 旧民俗文化センター。

岩槻の駅前から無料のシャトルバスで旧民俗文化センターへ。
「旧」とついてるのだから昔のものだな、と思っていた。民俗文化センター、埼玉県の民族芸能や工芸、産業などを展示したり、ワークショップを行ったりしていたそうだ。しかし、10年前に閉鎖されたらしい。で、「旧」がつく。
そい言えば、暫らく前、埼玉のことを「ダサイタマ」と言っていたことがあった。千葉も、何だったかそれに類する言葉があったが。要するに東京の周りの神奈川、埼玉、千葉の3県の内、神奈川は横浜というしゃれた町があるので、これは埼玉や千葉とは違う。残る埼玉と千葉では、どちらがよりダサイか、というようなものであった。
それで埼玉県、埼玉の誇りをとでもいうことで民俗文化センターを造ったのであろう。しかし、それで県民の士気も上がらず、10年前に閉められたのであろう。
バスで着いた旧民俗文化センター、小ぶりながら多くの展示室を持つ立派なものである。

旧民俗文化センターの正面。
幾つもの白い列柱で囲まれた前庭であったと思われる所に、白い多くの物体が詰まっている。

スロヴェニアの作家のこのようなもの。

ありふれた場所をありふれた素材で埋めつくす。日常の中に非日常空間を創りだしている。
用いた枕は、1000個だそうだ。

先月下旬、さいトリが開幕してから2か月ばかり経っている。枕と枕の間には枯れた落ち葉が。

1000個の枕の向こうには、なにやらカラフルな絵。

それを見ているお嬢さんが2人。

こちらから1000個の枕とカラフルな絵を見る。

カラフルな作品、絵じゃなくてインクジェットプリントであった。

≪未来はプレゼント≫、人生肯定。それも全肯定だな。

どこか見たような感じだな、と思った。
そう、市の標識と勘違いした、武蔵浦和の遊歩道にあった丸い「ワンちゃんの落とし物はちゃんと処理してね」、と同じ作家なんだ。

ウィスット・ポンニミット、タイの漫画家。

タムという愛称のタイの漫画家、日本語のマンガ本も幾つも出している。私は初めて知ったが、人気があるんだ、きっと。

虹の色ではない。
「未来はプレゼント」色なんだ。


今年、何人もの知り合いが死んだ。同年代の連中も。
学生時代の仲間も2人。ひとりはサークル仲間、もうひとりは学部のクラス仲間。
それもであるが、12月に入って暫らく前、喪中のハガキが届いた。40数年来の男である。ビックリした。
私よりも少し年上。私と異なり、その日常は健康の極まり。早寝、早起き、若い頃からタバコも吸わず、最後に会った時には酒も飲まず、ただひたすら勉強だけをしていた。パソコンもやらず、テレビもほとんど見ず、映画など30年以上見ていないという男。この男に関しては、「我が道を行く男」として何度か記したことがある。
スポーツマンであった。私と知り合った発端もスキー。
若い頃、二度の結核でスキーなどできなかった私、30前後からスキーを始めた。その後暫らくしてこの男と知り合った。我流であったが、滑りは上手かった。何年かの間、スキーへ連れて行ってくれた。
運動神経のいい男であった。
大型バイクもやった。しかし、デカイ事故を起こし何度も手術を受けた。その後はカヌーに入れこんだ。奥多摩のカヌーができる所へ通っていた。が、それもやめた。その後は、英語の勉強に集中したようだ。時折り、薄いパラフィン紙に書かれた英文の手紙が届いた。
最後に会ったのは、3年少し前、谷中を案内してもらった。
「谷中ぶらぶら」として、この雑ブログに記した。
電話をしたら、夫人こう言う。「最後は末期の胃がんであった」、と。
それはそれとし、この男の死、胸に刺さる。