歯ごたえ 早見堯の美術批評。

日経連で孫正義に「ロシアにも投資してくれ」と言い、講道館で待ち構えていた森喜朗とは顔を崩して熱い抱擁をかわし、帰っていったなプーチンは、と思っていたら、ロシアでは「日本は領土問題を棚上げにした」、と報じられているようだ。たしかに棚上げに近いものであったとも言える。
野党の皆さんばかりじゃなく、与党幹事長の二階俊博まで「もう少し(領土問題に)真摯に向き合ってもらいたい。やっぱり、国民の皆さんの大半はがっかりしている」、と発言しているのだから。
いろんな人がいろんなことを言っている。これ、論評であり批評である。
さまざまな批評、論評、評論、政治の世界に限らず、どのような分野にもある。経済、社会、スポーツ、もちろん文学、美術、芸能、エンタメ、・・・、・・・。居酒屋で一杯やりながら延々と何だかんだと言いあっているおやじ連中も、己の批評、論評をぶつけ合っている、と言えよう。気楽な批評ではあるが。
その点、美術批評は難しい。文芸批評よりもさらに。「言葉を言葉で」ではなく、平面にしろ立体にしろ、否言語空間を言葉で表現するのだから。
特に、作品の主題や内容よりも、その形式や形態を重視して作品を分析しよう、という批評に至っては、ややこしい。
ややこしくない例を挙げる。
例えばこうだ。
スペイン内戦中の1937年、ファシスト・フランコの反乱軍に加担したドイツ空軍機によりゲルニカの町が無差別爆撃を受けた。パリにいたピカソは、今に残る「ゲルニカ」を描いた。ファシストに抗議する、という思いで。
また、葛飾北斎が卒寿(90歳)で死ぬ時、「天があと5年、命を保ってくれたなら必ずやまさに本物と言える画工になるものを」、との言葉を残した。北斎は上手い絵を目指していたのだろう、あの北斎にしてさらに。
また、先年日本へも来たフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」、「きれいだ」、「美しい」、と多くの人は思った。
以上のピカソの例も、北斎の例も、フェルメールの例も、分かりやすい。ややこしくない。
が、難しい批評がある。
主題がどうかなんてことは二の次、上手いとか美しいなんてことも批評の外。その形式や形態の裏側を突きつめる。フォーマリズムって言うらしいが、ややこしい。
歯ごたえ十分である。

「ART TRACE PRESS」04、つまり第4号。
昨日記したART TRACE GalleryもART TRACE PRESSも同根の表現活動である。
「ART TRACE PRESS」の第4号、早見堯の美術批評のアンソロジーを組んだ。
暫らく前、早見堯からこのようなメールが来た。コピペする。
<掲載されているわたしの原稿は、70年代、80年代、90年代が各2点ずつで、絶滅危惧種評論だと編集主幹の松浦寿夫さんが判断し、絶滅する前に記録という意図ではないかと思います。
4点は自分で選びましたが、あんまり再公開したくない2点を松浦さんが選んでくれました。
昨年夏にインタビューもといわれオファーがありました。前号でのインタビューの宇佐美圭司さんはすぐに亡くなり、前々号インタビューの田中信太郎さんももう30年も前ですがガンで大手術などの前例があり、わたしも昨年夏は骨にヒビなど体調不良だったので、縁起悪そうだなあと、インタビューどころか原稿掲載も嫌だったのですが、いろいろやりとりしているうちに、原稿掲載だけということで、つきあわざるをえなくなりました。
ゲラをみるとまんざらでもなくなるのでわたしも適当ですが。
今回の号も亡くなったばかりの中西夏之さんのインタビュー特集になっています。
昔なら王道ですが、今時では珍しいハードでマニアックな美術雑誌です。>、と。
たしかにハードでマニアックな雑誌である。
東京や大阪などのジュンク堂、丸善、紀伊国屋、また、八重洲ブックセンターといった所でしか扱ってない。私は4日前、後藤亮子の遊展を見に行く前に八重洲ブックセンターで求めた。
八重洲ブックセンターの美術書売り場には、「ART TRACE PRESS」04が積まれていた。数えたら10冊あった。その1冊を取りレジへ。八重洲には何冊入ったのか訊いた。今月初め10冊入った、と言う。と言うことは、それから10日以上過ぎて私が求めるまで1冊も売れなかったということになる。ああー。

「ART TRACE PRESS」04の目次。

早見堯の美術批評、そのアンソロジーの個所を。
この6本の早見堯の美術批評である。
早見堯、フォーマリズムの代表的な批評家とみなされてきたが、と「ART TRACE PRESS」主幹の松浦寿夫は記す。
早見堯の批評、色彩、色面、色相、という言葉はでてくるが、「美しい」という言葉は出てこない。美しいか、どうか、ということは考慮の外なのか。

中面をひとつだけ。
幾つもの小見出し、<物体に属すると同時に絵画に属する>とか、<媒介性の再生>はまだいいが、<視線を表面へと連れ戻す物質へ>の「へ」は何を表しているのであろうか。
早見堯からのメール、お終いにこういうことも記されていた。
<わたしとしては、ブログ「見ることの誘惑」に昨年12月に書いた、こちらが、専門のモダニズム=フォーマリズムの方法を使って藤田嗣治に関する新しい提案をできたのではと、勝手に思っています。読むのがいやになるくらいのめんどうな文ですが。
興味があれば下をクリックしてみてください。
「見ることの誘惑—藤田嗣治」>、との。
それにしてもである。
不思議なことがある。
<ピエール・レスタニーが、「戦後世代の基軸としてこんにち現れている1960年は泡だち爆裂する年であった」と、何よりもオブジェに関わるヌーヴォー・レアリスムについての一章を書き出すのは、それに先だつ50年代後半が、抽象(イメージ)と物体との相克の時期であったという認識があったからである>。
歯ごたえのあるこのような記述が、心地よくなることに気づく。
不思議。