ヒッシー manufacture and action展。

3日前の夜、JRを両国で降り10分少し歩いていた。
清澄通りを渡り、京葉道路も渡り、さらに横の道へ入る。暗い中に一軒だけ灯が点いていた。
ART TRACE Gallery、暫らく前、早見堯のメールで初めて知った画廊。面白そうだ、行かなくちゃ、と思っていた。

そろそろ歩きくたびれたな、という頃にあったー。
ART TRACE Galleryの看板。

ヒッシー/Terumitsu Hishinumaのmanufacture and action展。
ヒッシー/Terumitsu Hishinuma、1976年生まれのアーティスト。Webサイトによれば、ムサビの建築を出た後イギリスの芸大で彫刻を学んでいる。

くもりガラスの扉にこの文字。
ART TRACE Gallery、粋。

後ろの扉から入った。
白い部屋。

入ってすぐ右。
白い壁に紙が貼ってある。
 
すぐ横には小さな部屋がある。

その左、こちら側には・・・

大きな部屋が。

貼ってある紙から部屋の様子を。
右下の扉から入った。
すぐ右手に小さな部屋があり、左手奥に大きな部屋がある。奥の部屋の作品は、すべてでひとつの作品、インスタレーションである。
そのタイトルは、≪使用中≫。

ART TRACE Gallery、ヒッシー/Terumitsu Hishinumaのインスタレーションについてこういうような解説文を掲示している。
これをお読みいただいて、ヒッシー/Terumitsu Hishinumaのインスタレーション≪使用中≫をご覧ください。
両国の暗い夜空の下を歩くことなく、ヒッシー/Terumitsu Hishinumaの≪使用中≫の場に居合わすことができるよう。

以下10数点の写真、何も足さない、それのみ。あなたご自身の場を。














小さい部屋へ入る。

≪さあ、つかえ! つかえ! つかえ!≫。
word sculputure。

この2点は・・・

≪無題≫。
ドローイング。

≪無題≫。
メディアは、news paper、sheets、net、pipe。

小さな部屋の一画に、パソコンに向かっている男が一人いた。留守番である。
ART TRACE Gallery、通常の画廊とは異なり、貸画廊ではない。みんなでギャラリーを運営していこう、というシステムが取られている。
つまり、金を出す人は金を出す、労力を出す人は労力を出す。3日前いた人は、労力を出すという人であった。
その男、写真家であるそうだ。しかし、写真では食っていけないので別に本職を持っていると言って、名刺をくれた。
その名刺には、カウンセラー・夢分析家、と記されていた。
「夢分析ってフロイトの」、と言ったら、「フロイトもそうですが、今では新しい・・・」、と応える。
それはどうあれ、夢分析で飯を食っていることに驚く。


小部屋の台の上には、ART TRACE PRESSの刊行物が。


両国は久しぶり。ちゃんこを食おうか、と思った。鍋、多くの店では2人前からとなっている。駅近くのちゃんこ道場で「ひとりでもいい?」って言った。暫らく間を置き「いいですよ、どうぞ」、との声。つみれちゃんこをたのんだ。熱燗と共に。
横に学生服を着た男の子が5人いた。紙袋やビニール袋をいっぱい持っている。”東京バナナ”なんて袋もある。修学旅行の学生のようだ。
声をかけた。熊本からの修学旅行の学生であった。
「地震、大丈夫だったか」、と訊いた。「「天草の方だったので、大丈夫だった」、と言う。
今日は自由行動で渋谷に行った、と言う。渋谷のスクランブル交差点、日本ばかりじゃなく世界中の若者の憧れだもの、熊本の男の子が行くのも解る。
が、振り返れば、修学旅行の高校生がちゃんこ鍋など食っていていいのか。私がちゃんこ鍋を食ったのは、おそらく社会人になってあと。
熊本の高校生、酒も飲まず、タバコも吸わず、ちゃんこだけを食い、帰っていった。
驚いた。
半世紀前の修学旅行では、全部が全部ではなかったが、修学旅行にはタバコや酒は付きものだったから。


プーチン、帰った。
安倍晋三、日ロ関係、大きく踏み出したと言っている。
「特別な制度」の下での経済協力、その上に立っての領土返還、難しい。
が、一歩、乃至は半歩は踏み出したと言えるのではないか。