禅展。

禅の教え、「即心是仏」と言われる。
すべての事物が心であり、心の外には法はない、と説く。
心とは何か、心はどこにあるのか、心はとらえられるのか、という議論が続いていく。

今月初めの東博正門前の看板。

平成館内の垂れ幕。

≪臨済義玄像≫。
一休宗純賛、伝曾我蛇足筆。室町時代15世紀。
<今にも「喝!」と聞こえてきそうな>、とパンフにある。

≪織田信長像≫。
狩野永徳筆。安土桃山時代、天正12年(1584年)、京都・大徳寺蔵。

青磁輪花茶碗 銘「鎹」。
中国龍泉窯
戦国の武将たち、茶の湯に心奪われる。茶も禅である。
戦国時代前後、またその後の時代においても、禅の思想、日本を包みこんでいく。

これぞ禅画の真骨頂。
≪達磨像≫。
白隠慧鶴筆。江戸時代、18世紀。東京・永青文庫蔵。

十八羅漢座像のうち≪羅怙羅尊者≫。
范道生作 江戸時代 寛文4年(1664)。京都・萬福寺蔵。
釈迦の実子と言われる阿羅漢である。顔貌が醜かったと言われている。で、顔貌はそうだが心は美しいと、心を広げている。

≪達磨像≫。
白隠慧鶴筆。1幅 江戸時代 18世紀。大分・萬壽寺。
白隠の手になる≪達磨像≫、迸った墨があちこち飛び散っている。
「即心是仏」と繋がるのか、この模様。
私には解らない。


フィデル・カストロが死んだ。
フィデル・カストロ、毛沢東、ネール、スカルノ、ナセル、チトー、第二次世界大戦の後出てきた革命児より一拍遅く現れた革命児である。
パックス・アメリカーナ、またパックス・ルッソ・アメリカーナの時代を生き抜いた、フィデル・カストロが死んだ。
フィデル・カストロの時代は終わった。次の時代は流れた。時は、いまこの時を流れている。
最後の革命児・フィデル・カストロが死んだ。