びわ湖長浜 KANNON HOUSE。

何日か前の、藝大での「観音の里の祈りとくらし展」に続けて記すつもりでいたが、東工大の先生がノーベル賞を取ったり、シーテックへ行ったりとしていたので、間があいた。
その観音の里・長浜市が、東京上野に情報発信の拠点を設けているんだ。この春から。
この春、彦根に住む従妹のJから新聞の切り抜きをもらった。「上野には時々行ってるようやけど、ついでにどうぞ」、と。
長浜市、「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」というものを作った。京成上野のすぐ裏、不忍池の方に。新聞の切り抜きにそうある。
もともと不忍池の弁天島は、江戸時代、寛永寺の天海和尚が、琵琶湖の竹生島になぞらえて築かせたそうだ。で、長浜と上野は親和性が高い、と「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」のチラシにある。

「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」ってネーミング、語感がいい。洒落てる。

実は、6月初めに行った。臨時休館であった。

8月初めには開いていた。
「東京にある長浜の観音堂」と長浜市長が言う「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」、ビルの1階、このガラス戸の向こう。
入る。

檜の柵で囲まれた中に、ガラスケースに入った観音さまがおわします。

琵琶湖の北、長浜には約130体の観音さまがおられる、という。その観音さまを1体ずつこの上野の観音堂へ持ってくるそうだ。数か月毎に。

壁面にはこのようなパネル。
長浜市長の挨拶とか、「長浜市と観音文化」とか、「オコナイ」とかのパネル。撮ったが、みなぶれている。

これもぶれているが、この夏上野のKANNON HOUSEにお出ましになった、長浜川道集落の真言宗寺院・尊住院の聖観音立像のパネル。

白洲正子はじめ湖北に関する書がささやかに並ぶ。

何種類ものパンフも。
長浜市観光振興課のものも、勝手連的なものも。そのほとんどは、ページもの。長浜の力の入れよう、ハンパなものじゃない。
それらのパンフを取っていると、何時の間にやら係の女性が近づいてきて、「どうぞ、これをお使いください」、という。

このビニール袋を手渡してくれた。
入場無料なのに、サービスはいい。
都市と地方の問題、数多くある。さまざまな格差も生じている。その中で、それぞれの地方自治体、戦っている。
長浜市は、「観音」という武器を持って戦いを挑んでいるのであろう。「観音さま」というソフトパワーで。

壁面のひとつには、モニターがある。
観音の里・長浜の情景が映し出されている。

観音さまも。

安念寺の「いも観音」。
「いも観音」って、こういうものらしい。
戦国時代に戦火から観音さまを守るため、長浜の村人たちは、観音さまを土の中に埋めたそうだ。それを後の時代に掘り出して川で洗い清め、安置したものだそうだ。
で、朽ちた観音さまである。が、神々しい。

この日、この時、年配の女性がふたりモニターを見ていた。時々言葉を交わし。