風天句と浅丘ルリ子。

渥美清が死んで20年となる。で、NHK、渥美清がらみの番組を幾つも組んだ模様。
たまたま二つ見た。7月末と9月初めに。同じ番組であった。いずれも偶然。ついていたテレビから俳句を読む吉永小百合の声で気がついた。だから、二度とも見たのは途中から。しかし、いかに渥美清没後20年とはいえ、ひと月ちょっとの間に同じものを流すとは。しかも90分の長尺である。

二度とも途中からであったので、どういうように始まったのかは分からないが、エンドロールはこのようなもの。
「何考えていたの?」って寅さん・渥美清の心の旅路を追う。
倍賞千恵子、山田洋次、黒柳徹子、前田吟、矢崎泰久、浅丘ルリ子、早坂暁、金子兜太、・・・・・、・・・・・、多くの人が渥美清、俳号・風天について語っている。
渥美清、1973年(昭和45年)に矢崎泰久が音頭を取る「話の特集句会」に加わっている。永六輔が連れてきたそうだ。

「話の特集」の矢崎泰久、風天の句で好きなもの5句の中に上の句をあげる。



浅草の時代。
渥美清、ストリップの名門・フランス座でもコントをやっていた。

浅草という所・・・

今でも、伝法院通りの裏など・・・

まあ、似た光景はある。

ウーン、何と言おうか。
昭和20年代、稀ではあろうが、あったかもしれない。

渥美清、26歳の時肺結核となり、片肺を摘出する。
私もやったが、結核は長い。

<・・・・・鍋だけくつくつ>って。
横顔が写っているのは、金子兜太。

金子兜太、風天を「バケモノ」と言う。

山田洋次が拾った風天の句はこれ。
「遊び人の人って」、と。

「男はつらいよ」の第48作、最終作の「男はつらいよ 寅次郎紅の花」。
旅から旅への放浪の歌い手・リリー。幸せそうな顔つきである。

そうなんだ。タクシーの中。
「男が女を送るって場合には、その女の玄関まで送るってことよ」、と風天の寅。リリー、こう応える。「嬉しい。運転手さん、加計呂麻へ行って」、と。
運転手は「加計呂麻って、足立区ですか、葛飾区ですか?」って。

「男はつらいよ」、48作作られたが、そのマドンナの白眉は浅丘ルリ子であろう。
旅から旅の歌い手・リリー。

浅丘ルリ子である。

浅丘ルリ子、

寅さん・渥美清を語る。

指輪もさることながら、その指先、ネイルのほどこされた爪、指先である。
これぞ大女優・浅丘ルリ子、その人の証し。

浅丘ルリ子、フーテンの寅・寅次郎を思う。

風天の句で最も知られている句。
早坂暁がその句誕生の舞台裏を語っている。森英介著『風天 渥美清のうた』(文春文庫 2010年刊)で。
それはどうあれ、こうなんだ。
     お遍路が一列に行く虹の中。