やまとめぐり(11) 高松塚古墳。

昭和47年、日本の考古学史上画期的な発見があった。
高松塚古墳から壁画が発見された。日本中、沸いた、沸いた。
「かめバス」で、橘寺から高松塚の最寄りバス停まで10分ばかり。壁画館の最終入館時間は4時半。ギリギリ間に合いそうだ。高松塚壁画館、そう大したものではないが、久しぶりに訪ねてみよう。

バス停から高松塚壁画館までは少し距離がある。このような道を10分少し歩く。

低く埋もれたような高松塚壁画館が見えてきた。以前訪れたのは、何時であったろうか。おそらく2、30年前。

「飛鳥美人」と言われる石室西壁の女子群像が、アイキャッチャー。

高松塚の石室の模型。
壁画館の中にある。しかし、壁画館内の撮影は許されていない。が、実は同じものが飛鳥資料館に展示されている。こちらは撮影はご自由に、という太っ腹。
で、これも飛鳥資料館で撮影したものである。

飛鳥資料館には、高精細スキャンパネルというデジタルで読み取った高松塚壁画の写真もあった。

これは、北壁に描かれた玄武。

高松塚の壁画で最も知られる西壁の女子群像。
このようにして撮るのがせいいっぱいなので、このようにしか撮れないが「飛鳥美人」、不鮮明である。

このように近づいても。
美人と思うにはいまひとつ、だよね。

高松塚壁画館のパンフを複写した。
左から3つめが石室西壁の女子群像。ずいぶん色鮮やか。あり得ない。
これは、「壁画再現模造模写」である。言ってみれば、描かれた当初はこういうものでしたよ、というもの。壁画に限らず日本美術、描かれた当初はこういうものでしたよ、というものにはあまりありがたみが感じられない。そのような感覚、私だけなのかな。

飛鳥資料館で求めた簡単な小冊子・『時の旅人・飛鳥発』には、こういう石室西壁の女子群像が出ている。
これは、絵を見やすくするため、剥落や汚れを加減して模写した「一部復元模写」であろう。
ついでながら、発見当初の姿を忠実に模写したものは「現状模写」。不鮮明であろうと見づらかろうと、これが一番大事である。

すぐ近くの高松塚古墳へ。
いやー、ずいぶんすっきりしている。
以前訪れた時には、木が生い茂り草ぼうぼうの中に高松塚が埋もれていたのに。

高松塚古墳、小さな円墳である。

このような文化庁の立札がある。

その文言を拡大する。お読みいただけるであろう。

今、修理中の高松塚古墳石室壁画、あと1、2年でこの中に戻るはずである。

「かめバス」で5、6分、近鉄の飛鳥駅へ。
小さな駅、趣がある。
私は、橿原神宮前、大和八木で乗り換え、そこから3駅、電車で5、6分の桜井へ。駅近くの旅館へ入る。


ニースで考えられないテロが起こった。
テロ犯、トラックで突っこんだ。84人が死に、約50人が重体である、という。
10年近く前、ニースに数日滞在した。バスや電車でマチス美術館やモンテカルロのカシノへ行った。テロのあった海沿いの遊歩道も知っている。あそこで、ということ考えられない。
テロの概念、変容している。
いや、拡大している、という方が正確か。