やまとめぐり(9) 文化財を撮る 写真が遺す歴史展。

6月上旬の飛鳥資料館、このような企画展をやっていた。

「文化財を撮る 写真が遺す歴史」展。

企画展示室へ入る。

飛鳥資料館の館長、こう語る。

旧江戸城写真帖第31図、中之門。
明治4年(1871年)撮影。

旧江戸城写真帖第42図、桜田堀から外桜田門。
やはり明治4年(1871年)の撮影。

「旧江戸城写真帖」とは、こういうもの。
写真師は横山松三郎、着色した油絵師は高橋由一、とある。高橋由一が人着していたんだ。
平成12年(2000年)、重要文化財に指定されている。

壬申検査関係写真 東大寺南大門。
明治5年(1872年)撮影。

壬申検査関係写真 法隆寺金堂・五重塔。
東大寺南大門と同年に撮られている。

「壬申検査関係写真」とは、こういうもの。
「旧江戸城写真帖」と異なり、人着は施されていない。
やはり、重文。

焼損前の法隆寺金堂壁画。
よく知られた第6号壁≪阿弥陀浄土図≫である。

その説明書き。
昭和10年(1935年)に撮影されている。

アジャンター石窟寺院壁画の菩薩像に擬せられる「観音菩薩像」。
東洋の美、いつ見ても美しい観音さま。

カメラを並べた台があった。
文化財の調査に使用されたカメラ。

中央のカメラは、SPEED GRAPHIC、1957年から使用。左のカメラは、Canodate E、1970年から使用、とある。

キトラ古墳の壁画調査に使われたカメラ。
右手前は、Canon Power Shot G1、2001年3月使用。<初めて朱雀を確認したのは、このカメラです>、との文言がある。
左は、超小型カメラ Small Monitoring Camera、2001年12月に使用、とある。

<川原寺跡でのSPEED GRAPHICによる撮影風景>、と記されている。
こんな丸太を組んだ櫓のようなところへ上がって撮っていたんだ。驚く。

体験コーナーもあった。

<カメラやスマホで撮ってみてね>、と呼びかける。

ここから出る。
文化財を写真で記録してからまだせいぜい150年。初めのうちはガラス甲板で撮ったものに人間の手で着色していたんだ。高橋由一などをフィーチャーして。
二次元から三次元、さらにさらにと写真の世界も進化していく。しかし、いかように進化しようと、焼損前の法隆寺金堂壁画の美しさ、輝き続ける。


夜に入り、天皇が生前退位の意向を示されている、とのニュースが流れた。
驚いた。
今上天皇はいつまでもその務めを果たされるおつもりだな、と考えていた故である。
今上天皇、82歳におなりになる。毎年8月15日その他、折々にテレビから流れる映像に、お年を召したな、との思いを抱いていた。が、今上天皇は最後まで、とも思っていた。
後継の皇太子、今上天皇が日本人が忘れてはいけない日と言われた6月23日、8月6日、9日、そして8月15日、この4日にどのようなお考えを持っておられるのであろうか。残念ながら、お父上である今上天皇を補佐してどうこう、ということは記憶にない。
それ故、今上天皇は、と考えていた。
譲位には皇室典範の改正などが必要になる、という。今上天皇、数年以内の譲位をお考え、とのこと。今は、今上天皇のお考えを果たしてもらいたい。
今上天皇、昭和天皇から受け継がれたその責を十分に果たされた。いや、十分以上に果たされた。
<推古朝に成立した天皇は、推古期にピークを迎える畿内豪族連合と国造制に支えられた、氏姓制的な内実を持つものだった。唐から高度な律令制をとり入れて、律令制「日本」の枠組みができてくる>(大津透著『神話から歴史へ』 講談社 2010年刊)。
日本の天皇制、連綿と続く。今上天皇まで神話世界の神武天皇から数えて125代。
今上天皇、その中で英明な天皇ベスト10に入る天皇であるのは間違いない。
できるだけ早く、心安らかな日々をお過ごしになられるように、と願っている。