やまとめぐり(7) 久米寺。

やはり畝傍山の東南山麓、橿原神宮の近くに久米寺がある。近鉄の橿原神宮前駅からはすぐ近く。

久米寺、真言宗御室派のお寺である。

本堂が見える。

本堂。
正面から。

久米寺、このようなお寺。
推古天皇の勅願で、聖徳太子の弟である来目皇子によって建立された、と。

右手の柱には、御祈祷○○○と書かれた文字が見え、左手の柱には、来目皇子御創立の文字が見える。

これだ。「来目皇子御創立」の文字。
しかし、その下の<一千三百三拾八年及び昭和拾壹年拝>の、それぞれの数字は何なのだろうか。来目皇子は、7世紀の人物。西暦1338年は南北朝のころ。解らない。

15、6人の団体さんが来た。

皆さん本堂へ上っていき・・・

廊下から本堂内へ入る。
本堂内、満員の様子。お寺のお坊さんも中へ入っていき、説明をしている模様。本堂へ入ろうとしていた私、機を逸した。

で、本堂横のあじさい園へ。
久米寺、あじさいの寺としても知られている。
麦藁帽子を被った係の人が下草を取っている。

園内、何人かの人がいるのみ。

このような道を進む。

先の方に電線のようなものが見える。
久米寺のすぐ横を、近鉄の電車が走っているのだ。

6月上旬であった。あじさいの盛りには少し早い時期であった。

むしろ、青緑・あおみどりが美しい。
久米寺のあじさい園、そこそこ広い。池の面にあおみどりが。

ぐるーっと周り・・・

本堂の方へ戻ってきて、アジサイ園を出る。

本堂の前で、孫娘の為にろうそくを灯す。

ところで久米寺、眼病のお寺として、そして久米仙人のお寺として知られる。
眼病は、来目皇子がらみであり、久米仙人は、面白話として。
仙術を会得し、空中を飛行することができるようになった久米仙人、ある時、川で洗濯をする若い娘の白いはぎに目を奪われる。いかに修行をつみ仙術をマスターした仙人でも、若い娘の白い生足には弱いんだ。
久米仙人のこの後のお話もある。その娘と結婚しごく普通の生活を送っていたのだが、天皇に請われ今一度仙術を発揮する話なども。
その久米仙人の石像がある。
小さな石像、飛んではいないが、周りのもろもろのものの上に飛び出ている。

金ぴかの仏さまがあった。
大日如来。

「虫塚」というものも。
今に生きる人たち、カにしろハエにしろ、あまり好きじゃない。駆除している。殺している。
で、久米寺では、毎年6月末、虫を供養する虫霊法要を行っているそうだ。この「虫塚」も薬で虫を駆除している業者の団体が造ったもののようだ。
大和、畝傍山東南山麓の久米寺のお話である。


永六輔が死んだ。
享年83。
「中年御三家」が思い浮かぶ。これで中年御三家のお三人、小沢昭一、野坂昭如、そして永六輔、みんなあっちへ行っちゃった。
彼ら三人、私たちの世代にとっては、兄貴のような存在だった。
「ノーリターン、ノーリターン、マリリンモンロー ノーリターン」、である。


ザ・ピーナッツの妹・伊藤ユミさんも死んだという。
享年75。
永六輔の時代と重なる。
記憶に残る双子は、ザ・ピーナッツと金さん銀さんの二組が双璧。