アリ死す。

巨人が死んだ。
モハメド・アリが死んだ。享年74。
モハメド・アリ、20世紀の英雄の一人であった。多くの人がその死を悼んでいる。
1974年、ザイールでの「キンシャサの奇跡」の相手・ジョージ・フォアマンは、「自分の一部がなくなってしまった」、と語っている。めっぽう強い悪ガキであったマイク・タイソンは、「神がチャンピオンを迎えに来た。安らかに眠れ」、と記す。プロモーターであるドン・キング(84歳となるが、まだ健在なんだ)は、「悲しい日だ」、と。
その他、往年の偉大なるチャンプの方々、みな一様にモハメド・アリの死を悼む。日本でも。輪島功一やカシアス内藤の顔も久しぶりに見た。
夜のNHKBSのニュースから。

若いころのアリ。
まだカシアス・クレイであったころであろう。

ローマでは、ライトヘビーで金メダルを取ったんだ。
この後、プロへ転向する。

これには、正直言って驚いた。
1964年、ソニー・リストンを破った試合には。
ソニー・リストン、フロイド・パターソンを破り世界チャンプになった男。まるで熊のような男であった。リストンに勝つなんてたいへんだ、とほとんどのボクシングファンは思っていた。
ところが、正式にモハメド・アリとなる前のカシアス・クレイ、その熊のような男・リストンに勝つ。世界チャンピオンとなる。
この後のカシアス・クレイ、ブラック・モスレムへの傾斜を強める。カリスマ、マルコムXとの接点も増えていく。名前も、正式に、カシアス・クレイからモハメド・アリとする。

アメリカはベトナム戦の真っただ中であった。が、モハメド・アリ、国の施策に反旗を翻す。
徴兵を拒否する。
その代償は大きかった。世界チャンプも剥奪された。
アリは死んだか。長いブランクがあった。
ところが、1974年、ザイールの首都キンシャサでのことである。

長いブランクのあったモハメド・アリ、大方の予想を覆し、チャンプ・ジョージ・フォアマンを破り世界チャンプに返り咲く。
世に語り継がれる”キンシャサの奇跡”である。

”チョウのように舞い、ハチのよう刺す”。
1975年、”スリラー・イン・マニラ”、マニラでジョー・フレイジャーを破る。

無敗で引退する世界チャンプもいる。しかし、モハメド・アリのケース、すべての場が意味を持つ。20世紀の世と繋がっている。20世紀を体現している。表している。

その後のモハメド・アリ、パーキンソン病を発症、その病魔と闘うこととなる。
1996年、アトランタ五輪の開会式、聖火の点火者としてモハメド・アリが出てきた。モハメド・アリ、震える手で聖火を点火した。息を飲んだ。
ところで、モハメド・アリについては、4年近く前、2012年の秋、「フェイシング・アリ」という男について語っている。映画について記したことがある。モハメド・アリとグラブを交わした10人のボクサーが、モハメド・アリ今振りかえると、2012年11月19日に記している。
今、読み返しても、モハメド・アリへの思い入れ半端なものじゃない。モハメド・アリ、そのような男であった。