ヒロシマのオバマ。
G7のサミット、閉幕した。
G7首脳会議、さらにアジア、アフリカから招いた国々をも参加した拡大会議もすべて終わった。
あとは今回のサミット議長・安倍晋三の総括の会見を残すのみ。
2時すぎ、安倍晋三の会見が始まる。
北朝鮮の核問題、南シナ海の問題、テロ対策、環境問題など討議されたことはさまざまある。その中で、安倍晋三が最重視していたのは経済問題である。
しかし、いきなり”リーマンショック時の云々”が出てきたのには、正直言って驚いた。
安倍晋三が、財政出動による政策協調を言うのは分かる。
しかし、当然のことながらドイツのメルケルから反発を食らったようだ。
舛添要一の”第三者に”ほどではないが、安倍晋三は何度も”リーマンショック時”を口にする。安倍晋三、今までもそういうことを言っていたかなー。聞き漏らしていたのかなー。やはり、少なからず驚く。
それよりも驚いたことがある。
メルケルがアベノミクスの三本の矢をあまり評価できない、と言ったらしいことはまだしも、対GDP比200%を超える日本国の債務残高に疑念を表したことである。メルケル、内心では日本はギリシャより酷いじゃないか、と思っているのかもしれない。
財政出動、財政出動の一点張りでなく、もっと民間資本を活性化させよ、と安倍晋三に教えているのであろう。そうでなければ、日本国の債務はますます膨らみ、ヘタをすれば破綻するやもしれませんよ、って教えているのかもしれない。
メルケル、現在のG7首脳の中では最古参のリーダー。ドイツ人ばかりじゃなく、世界中の人たちから”こいつはできるな”、と思われていると思われる女である。それだからこそ、メルケルの言葉、余計に気にかかる。
そして、核の問題。
サミット後、バラク・オバマが、アメリカの現職大統領として初めて広島を訪れるからなおさらだ。
そのバラク・オバマ、3時45分ごろ、大統領専用機・エアフォース1で、まずアメリカの岩国基地に着いた。
バラク・オバマ、駐日大使・キャロライン・ケネディを伴ってエアフォース1を降りる。
4時2分、アメリカ海兵隊の兵士やその家族、また自衛隊の日本人、約3000人がバラク・オバマを待つ。岩国基地の格納庫で。
4時3分、バラク・オバマ、アメリカの兵士たちに語りかける。
バラク・オバマ、つかみが上手い。岩国基地の兵士やその家族たちには、解りやすく「ハロー、エヴリワン」って大きな声で語ったのではなかったか。
約10分の演説の後、アメリカの兵士やその家族たちと握手、握手。また、幾つもの写真撮影に応じていた。抱き上げた子供にオバマと握手をさせようとしていた人が何人もいた。バラク・オバマ、やはり人気者である。
4時50分の映像。
この少し前、オバマを乗せたアメリカのヘリコプター、岩国基地から飛び立ち広島へ向かっている。
ヘリコプターが2機、それにオスプレイが付き添っている。カッコいい構図である。
こういうのを見ると、アメリカだな、アメリカの大統領だなって誰しもが思うのではないか。
10分少しで広島のヘリポートに着く。
ヘリに描かれた星条旗、UNITED STATES OF AMERICAという文字。何と思うか、人さまざまであろう。
ここから平和公園までは車で。
5時25分、平和公園着。
安倍晋三が迎える。
すぐの広島平和記念資料館へ。
広島平和記念資料館、いわゆる原爆資料館である。
原爆資料館の中でのバラク・オバマの姿の撮影は許されていない。
今なお、アメリカ国民の過半数の人は、広島、長崎への原爆投下を是としている。そのアメリカ国民の思いを考えた場合、アメリカ大統領が原爆資料館に入り、その展示物を見た時の反応を国民に知らしめることはできない。
原爆資料館には、こういうものが展示されている。
上の写真は、原爆の熱線で焼かれ、皮膚が炭化した人である。正視できるか。
私は、原爆資料館へは2度訪れている。いずれもはるかな昔であるが。厳しい、ウーンって思いがある。
原爆資料館では、なんてってものにも向き合わなくてはならない。背中全面の皮膚が炭化した人にどう向き合えるか。見る人の覚悟が問われる。
これは、原爆の閃光で住銀の石段に座っていた人の影が映ったもの。石段に人の影が写る。考えられないことが起こった。原爆では。
5時36分、バラク・オバマ、原爆資料館から出てきた。
原爆資料館への滞在、10分ばかり。
そんな短時間で原爆資料館のことが分かるはずがない。
が、バラク・オバマ、よくぞ原爆資料館へ寄ってくれた。原爆資料館に行くかどうか、不明であった。が、原爆資料館へ行こうと決めたようだ。バラク・オバマの決断、極めてセンシティブな問題なんだ。
それを決断した。その心が嬉しい。
バラク・オバマ、安倍晋三と共に原爆慰霊碑へ。
バラク・オバマ、原爆慰霊碑へ献花する。
その後、暫らくの間目を閉じる。
アメリカ大統領、原爆慰霊碑に頭を垂れることはできない。アメリカ国民の過半数が許さない。バラク・オバマも頭を垂れることはできない。
で、バラク・オバマ、瞑目した。暫し目を閉じた。
恐らくバラク・オバマ、心の中では首を垂れていたのではなかろうか。
安倍晋三は献花した後、お辞儀をしていた。
その後、バラク・オバマの演説がある。
事前には、所感を短く、というように伝えられていた。
が、バラク・オバマの演説、思いの外長かった。17分に及ぶ演説であった。
”71年前、雲ひとつない朝”から演説は始まる。誰にでも分かる導入部である。上手いな、スピーチライターもバラク・オバマも。
バラク・オバマ、語る。
バラク・オバマ、演説の後、原爆被爆者に近寄る。
原爆被団協の坪井直さん。
坪井さん、後でこう語っている。
「心が強いのか、話が進むにつれ、私の手を握る力がだんだん強くなった」、と。
この人も被爆者。
オバマと語る内、感極まり涙を流す。
その時のバラク・オバマ、その人を抱き寄せ、背中をさする。
一瞬、私の目からも涙がこぼれそうになった。
バラク・オバマ、なんて男なんだ。
その後、原爆ドームが見えるところへ移動する。
外務大臣・岸田文雄が説明をする。
6時16分、アメリカ大統領・バラク・オバマは広島平和公園を離れる。
広島滞在1時間半、平和公園滞在約1時間であった。
そうではあったが、バラク・オバマ、よくぞ広島に来てくれた。バラク・オバマでなかりせば、アメリカ大統領の広島訪問はなかったであろう。
今日、ずっとバラク・オバマを追っていた。
私が思うそのバラク・オバマ、究極の一枚はこれ。
原爆慰霊碑に献花した後、暫し瞑目していたバラク・オバマである。