吉備の国アート巡り(16) 家プロジェクト「護王神社」。

古代日本での吉備国は、今の岡山県ばかりじゃなく兵庫県西部、広島県東部、そして香川県の島嶼部をも含んだ広大な国であった。
律令制が取られ進むにつれ、直島諸島は備前になったり讃岐になったりしていたようだ。それが、明治維新後の廃藩置県で、直島を含む直島諸島は正式に香川県に組みこまれた。直島、岡山県の宇野からは指呼の間、高松からは十数キロという状況にはあるが、今、直島の人たちは香川県民である。
3月31日、朝飯を食べに民宿の食堂に行くと「四国新聞」があった。「四国新聞」、香川県の県紙である。
その一面を見て驚いた。

一面トップはこれ。
前日のセンバツの結果である。シャープが1000億円も値切られて鴻海に買収されたニュースなど、香川県民にとっては小さい小さい。

スポーツ面もこのありさま。
2面見開きほぼ全面が高松商の決勝進出の記事で埋められている。県紙はこうでなきゃってこと。県紙の鑑であろう。

民宿のおやじさんが作ってくれた朝食、私には多くエクスキューズを言って残した。が、「四国新聞」はあらかた読み、本村の「家プロジェクト」を周るため外へ。

まず、「護王神社」へ。

鳥居をくぐる。

このような道を上る。
さしたるものではなく、おそらく数十メートルという距離であろうが。

木の鳥居がある。

左の方に社殿が見える。

正面から。

こういうプレートがある。
家プロジェクト「護王神社」。 杉本博司≪アプロプリエイト・プロポーション≫。
<Benesse Art Site Naoshima>、とも。

正面、白い砕石が敷きつめられている。

レンズを近づける。

小さなお社からガラスの階段が伸びている。

こちら側からも。

ガラスの階段が。
実は、後で知った。このガラスの階段は、地中の部屋へ続いている階段であったようだ。
どこへ行くにも私は、事前にさしたる準備はしない。出たとこ勝負、ということがほとんどである。直島もそう。だから、護王神社の杉本博司によるガラスの階段が、地下室まで続いているなんていうことも知らなかった。

左側から社殿を見た後、右側へ周りこむ時、周りの木々の間から下の海を見ていたことにもある。このような光景を。

何人もの人が上ってくる。
ポツリポツリ、と。

私は来た道を戻る。
屋根の向こうに瀬戸内の海が現れる。

上ったところに戻ってきた。